カテゴリ「どうでもいいこと 」の記事一覧

惚れやすさ

『人の脳は10%しか使っていないという説は嘘』だとは思うけれどもそれは本当なのかというお話

酔うと電話をかけたくなるのはなぜか

七夕

惰性

キリンレモン ブラック と コカ・コーラレモン

半濁音推奨委員会

アクティブダイエット(active diet)

ふと思ったこと

DAKARA

惚れやすさ

一度 別館 の方に書いたのだけれど、引用部のCSSなどを書いていないらしく体裁が酷いのでこちらに加筆修正をして再度掲載する事にした。話のネタ的には完全に別館向きだけれどもまあ良い。

私はかなり惚れやすい方だと自覚している。だから印象が+方向になるような出来事があると、すぐにその人の評価が上がって、惚れる。そんなんじゃないかなあ。というのは当てはまるけれど、人に惚れやすい人ってのは、人に対する評価の変動が激しい人なんじゃないかというのとある一つの物事で他人に対する印象がころころ替わっちゃうような人はあまり当てはまらないと思う。と言うのも惚れやすいが冷め難いのだ。良い方の評価はとても甘いシステムになっていてどんどん好きになる。そして一度好きになるとマイナスの評価には目を瞑ってしまう。もしくはマイナスになる筈の項目さえその人が行ったことによって逆にプラスになったり何でも無い事のように思えたりしてしまう。まあつまり全て許してしまうのだ。少し違うかもしれないが、恋は盲目、あばたもえくぼとはよく言ったものだと思う。

ただやはり私の場合は初期の印象が殆ど全てを決定付けると言っても過言でないほど後の流動性は無いに等しい。つまり好きになれそうだと感じた人はとことん好きになり続けるが、無理だなと感じた相手に対してはかなり無感情(無関心)に接っしてしまう傾向にある。良くない事とは思いつつもその境界線を跨いだ人は殆どいない。かなり高い壁になってしまっているようだ。そしてその評価基準は実に曖昧で、初期と言っても見た目に限定される訳でもないし、一時の印象ではなく他人に言葉で説明できる類のものではないのでここでは割愛する。と言うよりも自分でもわかっていないのかもしれない。ただ、よく知りもしない内から何かを決め付けたりはしていないつもりだし、もっとこう人望だとか人との接し方だとか総合的、客観的に見ているつもりだ。

しかしまあそれが決まってしまった後は実にわかり易い。嫌いな人(と言うと語弊がある。苦手な人、もしくは好きではない人、関心を持てない人であって、嫌いなのではない)とは基本的に社交辞令程度のことしか話さなくなるし必要最低限の接触以外は無意識に避けているように思う。もちろん例外もあるが、基本的に私が自分から話しかけるような相手は全員が好きな人だ。中学生風(今は小学生か?)に言うとそれが like なのか love なのかという話になるのだろうが、それは性別に関係なく、日本語で好きだ。ただそれが異性だった場合、前述した通り私は惚れ易いので直ぐに別の複雑な感情が芽生える事も少なくはない。

もちろん周りから見て接し方の違いを(特に本人に)感じ取られているようでは円満に生活できないので(故意の場合は除く)、普段は不都合がない程度には分け隔てなく接しているつもりだ。しかしそれが上手くできていない事くらいは自分でもわかるし、友人にも態度に出過ぎでわかり易過ぎるとよく言われてしまう。直さなければとは思うものの、人格と対人スキル、そして自己防衛のかなり根深い位置に巣くっている考え方に基いている為にそれも叶わないだろうと思う。これが直ったとしたら他の部分で破綻するに違いない。


『人の脳は10%しか使っていないという説は嘘』だとは思うけれどもそれは本当なのかというお話

私のイメージでは脳の場所や部位ではなく、各細胞毎(組織・神経ネットワーク)の能力的に10%しか使われていないという意味でこの手の話を捉えていたのですが一般的にはどうなのでしょう。つまりリミッターを外せばもっと能力を出せるという意味の10%ではないのかと思っているのですが。本気で走れば100メートルを13、14秒で走れるところを疲れるから20秒で走っているようなもの。筋肉で言うのならば火事場の云々と同じように本当はもっと強い力が出るのだけれども制御しているというような事。車で言えば100キロを出す能力はあるけれども60キロで走るようなもの。その理由は自身が崩壊しない為なのか持久的な問題なのか危険回避なのか、それとも全く別の何かなのかは知らない。

さてところで、タイトルの人の脳は10%しか使っていないという説は嘘というのは本当なのでしょうか。確かに10%という確定的な数字は正確だとは思えませんが、記事的にはそれを嘘だと決定付ける根拠に乏しい気がします。つまり10%しか使っていないという事(何パーセント使われているのか)が証明できていないのと同様に10%しか使っていないのは嘘であるという証明も同時に成り立たない。考え方があるという主張としては面白いと思いましたが、なぜこういう見方をすることで、嘘が見破れる」、という、いいモデルケースになりますね。という断定的な物言いが出来るのかが少々疑問です。記事的には10%は嘘だったではつまらなくて、10%は嘘で○○%使っていますという話ならばとても面白いと思います。つまりそれなら端的に何パーセントなのかとういうお話。

ちなみに記事にはもう一つ違和感がありまして、冒頭でこういう話を聞いたことはありませんか。「人は脳のポテンシャルの10%しか使っていない」と。と掲げているのに対して、根拠の一つである

現在の脳の研究の結果、どのような働きをしても「一切使われることのないブラックホール」は見つかっていないらしいのですね。脳の特定部分が損傷したときに失われる機能などを見てみても、明らかだとか。 したらば元社長日記

がずれている事です。ポテンシャルの話、つまり私が冒頭で書いたイメージと同じ視点で入っているのに対して、嘘である根拠の一つに脳の特定部分の話が出てきてしまっています。これが大きな違和感(と言うかズレ)を生んでいます。もう一つの根拠であるコストの話についてはコメント欄に投稿されている意見も含めてとても興味深いと思いますので、そちらだけで充分ではなかったのかと思ってしまいました。

まあそれでも先に述べたようなであるとか都市伝説だというような断定的な物言いの根拠にしては薄い気もします。なぜこのような事を書くのかと言いますと、以前にも書きました が、私も含めてメディアリテラシーが培われていないような人間は直ぐに提示された情報を信じてしまいがちです。それも事がショッキング(けんすうさん もショックと書かれています)で断定的な書き方をされていれば尚更です。何が真実なのかは現段階では解明されていないのですから、これから研究が進んでもしもやはり脳はそのポテンシャルの9.96%しか使われていなかったという事が解明された場合、今度は逆に人の脳は10%しか使っていないという説は嘘というのが嘘で都市伝説になる可能性があります。それは情報発信者としては恐ろしい事ではないかという心配をしてしまった次第です。


酔うと電話をかけたくなるのはなぜか

私は偏頭痛持ちです。だから何という訳でもありませんし、不健康自慢をしたいのでもありませんが、これから書くことはそんな頭で考えた事だと割り引いて欲しいなと思っただけです。この頭痛はキッカケが良くわかりません。私の場合は変な姿勢で長時間過ごしたりするとなる事が多いのですが、大抵の場合はシャワーを浴びたり薬を飲んだり軽い運動をしたりすれば治ります。もしくは他の事に集中すれば治るのですが、その集中力を頭痛に負けないくらいに高めるのは至難の技で、殆どの場合は何も手に付かないまま一日が終わります。今日はそんな一日でした。特に何かの締め切りに追われている訳ではなかったので良かったのですが、空いた時間を頭痛との闘いに費やしたと思うと勿体無く感じます。だからと言っても予定が詰まっている時にこの頭痛に襲われたりしたらかなり辛いのですが。

さて、これを書いている今、やっと頭痛が治まってきました。特に書きたい事は無かったのですが、朦朧とした頭で考えた事の一つがタイトルの通りです。今まで真面目に考えた事は無かったのですが、酔っ払うと人恋しくなって誰彼構わず電話やメールをする方って結構いらっしゃると思うのです。でもその理由を考えた事がありますか?取るに足らない事だったので私は今まで考えた事は無かったのですが、この通りあまり堅い事を考えられる頭ではなかったのでこの機会にこういった緩い事を考えてみた結果、その電話は普段からしたいと思っていたのではないかという結論になりました。それが何らかの理由で理性によって抑え込まれていたのが、アルコールの力によって緩んでしまい、電話をかけない方が良いという理性よりも、かけたいと思う本能の方が上回ってしまうのではないかと思いました。はい。ただそれだけです。電話をかける相手に対してどのような感情を抱いているのかというのは考察の範囲外です。性別についてもまた然り。


七夕

小学校六年の頃に学校で七夕に関する行事があった。短冊に願い事を書いて笹に吊るすアレだ。特に願い事が思い付かなかった私は皆の願い事が叶いますようにと書いて吊るした。皆が何と思ったのかは関係ないが、担任の教師が私の短冊を見て何か注意らしき事を言ったのを覚えている。今思えばあの頃も何か間違っていて、既にズレていたのではないかと思う。私が?いいや、教育が。そんな事を天の川の下で思ふ。


惰性

クーラーつけたら負けだと思ってる。とか言ってみる。うん。ただそれだけ。その分だけ水不足が無くなれば良いのにと思う。どこにも因果関係は見出せないけど。

そう言えばBaton拒否のバナーもあった。


キリンレモン ブラック と コカ・コーラレモン

この度 キリンビバレッジ株式会社 が、キリンレモンシリーズの発売77周年を記念して キリンレモン ブラック なるものを6月28日から全国で発売するという。別にこれといって興味がある訳ではないのですが、なんとなく 日本コカ・コーラ株式社 の商品である コカ・コーラレモン と競合しそうだなぁなんて思っちゃったりしています。

ちなみに キリンレモン 77(セブンセブン) というのも既に発売されているそうです。


半濁音推奨委員会

特に意味はない。ラウザだのログだの言っている人が多いなと思っただけです。Google博士に訊くとプラウザは 102,000件 ヒットし、プログに至っては 616,000件 もヒットします。いやもうこれはモニタの解像度の問題ではなく誰かの陰謀ではないかと。そういう話。ちなみに私はカタカナ表記の単語の最後にくる長音は意味が通じる限りは省略するようにしています。サーバーはサーバ、モニターはモニタ、コンピューターはコンピュータ、エレベーターはエレベータ、エスカレーターはエスカレータです。


アクティブダイエット(active diet)

DAKARAの味が変わってしまい、代替品を探していると 先日書いた。最初に試したのは 903 だったが、味が濃すぎて却下(アミノサプリ(amino supli) は試していない)。次に試したのが アクティブダイエット(active diet) になったのだが、これが中々気に入った。これで落ち着く事になるだろう。AQUARIUS(アクエリアス)と書いてあったので不安だった(AQUARIUS は口に合わない)が、飲んでみると他の似たような飲料に比べて甘さが抑えられていて良かった。味は学生時代に(部活で)好んで飲んだアクエリアス・イオシス(ネオ?)に似ている。

他にも幾つか試してみようと思っている飲料がある。以下の三つだ。

他にも アミノバリュー やら アミノダイエット などがあるが、結局は味と値段で決めることになるだろう。


ふと思ったこと

このような文章を書いていると何故だかわからないが、ある程度まとまった量を書かなければならないと思い込んでいる節がある。あるサイトの日記を読んでいて思ったのだが、別に読む方は長文を求めていないのだ。私はある考察を始める場合には一定の考えがまとまった上で文章に起こすようにしている。つまり一つのエントリー内で話を終結させようとするのだ。しかしその作業には数日を要し、書き終える頃には他の話題に興味が移っていたりする。するとその文章もおかしなまとまり方で終わっていたりする。なんとも中途半端で見るに忍びない。

ある考えなど、時が経ったり新たな情報を入手したりする度に変わっていく物なのだから、その文章が完結する事は殆ど無いのだ(またこういった場ではその必要もない)。と言う訳でこれからはある出来事に関してその時に感じた想いをメモ感覚で記述して行く事にした。意見がまとまっていなくても後日新しいエントリーで書き足せば良い。その方が考察の推移なども把握し易くて良い。まあ何故今までそうしなかったかというと、中途半端な自分でも本当にそう思っているのか判断しかねる意見を垂れ流すのが怖かっただけなんですけども。


DAKARA

サントリーの DAKARA が少し前から新しくなった。私が普段飲料としているものは牛乳、SAVINGSの野菜のめぐみ、そしてDAKARAの三つだ。朝は牛乳(ココア)、昼と夜は野菜ジュース、風呂上りにDAKARAという習慣になっている。栄養バランスやカロリーを考えての事だ。飲みたい物を飲むのだとしたら、なんともお子様な味覚で恥ずかしいが、イチゴ・オレ、コーヒー牛乳、三ツ矢サイダーなどを選択しているだろう。

さて本題なのですが、この新しくなった DAKARA が美味しくない。もうこれはかなりのショックだ。近いうちに代わりの飲み物を探さなければならない。何の都合かわからないが、こういう習慣を崩されるのは非常に不愉快で堪らない(と言うよりも面倒)。まだまだ全国にあるであろう 旧DAKARA の在庫を集めたいくらいだ。


久しぶりに連絡をとった友人が話してた事だが、 パソコン(WindowsXp)の電源を切る時の音が「シャラポワ(ン)」と聴こえるらしい。 かなり病んでいるようだ。今度温泉にでも連れて行ってやろうかと思っている。 それとも早めに医者に診てもらった方が良いだろうか。

ちなみに電源を入れるときの音は 『きったぞ来たぞアラレちゃん ~(中略)~ グ~ピブピプペポ~♪ガッちゃんも♪夢のバクダン打ち上げろ~』 というアラレちゃんのテーマソングの「グ~ピブピプペポ~♪」(詳細は不明)と聴こえるらしい。 手遅れかもしれない…。


Copyright © 2005 rara All Rights Reserved.