カテゴリ「哲学・禅問答 」の記事一覧

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命の重さ

読み合い

人工知能ロボットは人間と同じような感情を持つか

赤い色が何故「赤く」見えるのか

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由

胸が詰まる

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命の重さ

まあどう考えても11人全員を助ける方法を考えるけれどもそれでは話が続かないし、この種の話では想定にない事を持ち出すのは禁句だ。この場合は人について何も書かれていないので10人を助けるを選ぶだろう。もしくは色々と考えてその他を選ぶか。では10人ではなく1人を選ぶかもしれない(もしくは迷う)場合について勝手に考えてみる。他の選択肢については妥当性を見出せないのでここでは無視する事にした。

再度断っておくがあくまでも10人ではなく1人を選ぶかもしれない(もしくは迷う)場合であって自分の中で決定しているリストではない。そしてもちろんこれが全てではない。

こうやって考えてみると一番困るのは11人全員が自分の大切な人達だった場合だ。1人が自分の最愛の人で、それ以下の2位から11位までの人が10人だった場合を考えると答えは出ない。その場次第になるだろう。そもそも大切な人達に順位付けをしているのかという問題もあるが、その辺りは大筋と関係ない。最愛の人とそれ以外の家族・友人とでも考えれば良い。

ちなみに今、この瞬間の私の考えでは最愛の人を救う。ただ、そのせいで10人が死んだのだと最愛の人が知って苦しむのだとしたらと考えるとそこで思考が停止する。しかしそれでも、最愛の人が苦しむであろうとしても、おそらく私は最愛の人を救うのだろうと思う。それを自己満足だと言われればそうなのだと認めるしかないのかもしれないし、相手を救ったのではなく自分を救った(もしくは自分が傷つくのを回避した)のに過ぎないと言われればそうなのかもしれない。ただ私がその人を救うのは愛しているからだというのはハッキリしている。別に格好が良くなくても良いし、世間に後ろ指を指されようともそれは曲げてはならない部分だと思う。

さて話を戻してもう少しギリギリのラインの1対10を考える。問題はこの1と10をどのような天秤で計るのかだ。数、重さ、質、何をとっても命を計るには軽過ぎる気がする。しかし実際にそんな奇麗事がまかり通らない状況になった場合の話をしているので無視する。とりあえず私がここで考えてみたいのはリストの最後に挙げた知り合いかどうかという基準だ。

私の場合はリストに挙げた通り1人が知り合い以上の関係で10人は赤の他人ならば1人を選ぶ可能性が高い。同じ考えの人も居るだろう。では知り合いとはどのレベルまで下げられるか、それを考える。知り合いという言葉の概念とは違うが気にしない。自分と関係(に影響の)のある人という意味で考えて欲しい。

順番に意味はない。10人が自分と同じ国籍でもない(国という単位に私は意味を見出さないが。本当に何の感情も覚えない…という想定には同じ人間で地球人である限り無理かもしれないが)赤の他人である場合、1人が10人とつり合う、もしくはそれ以上になる条件はどのくらいだろうか。そしてその条件は10人ではなく5人や2人になった時にどのように変化するだろうか。ちょっと考えてみても罰はあたらないと思う。

私の基準は決まっていないが、普通に会って話した事がある相手と、その相手の周囲の大切な人くらいまでだろうか。比重としては赤の他人の方が10人だろうが1万人だろうが1億人だろうが50億人だろうが変わらない気がする。その1人を犠牲にすれば赤の他人が50億人助かると言われてもピンとこない。かなり危険な考えなような気もするが、それが正直なところだろうと思う。こういう考えが戦争やら貧困を生むのかもしれないが、それは1人を犠牲にして50億人を助けるという考え方だって同じ事であろうと思う。結局両方を助ける道を模索する以外に道はない。ただその答えは無いのかもしれない。でも諦めてはいけないのだと思う。

そうこう書いているうちに思ったのだが、やはり大切な人に順番はありそうだ。その順位の高い人が含まれている方を助ける可能性が高いように思う。例えば1人の方が2位の人で10人の方に3位から12位までの何人かが含まれていても2位の人を助けるような気がする。3位と4位の二人を足しても2位にはかなわないし、2位と3位を足しても一位にはかなわない。ただ配偶者と子供が別れていた場合には想像がつかない。どちらを選んでも正解でもあり間違いであろう。これは逃げだが、そもそもそういった想定をする事が間違いだという事にしておこうと思う。


読み合い

いったいどんな数になるのでしょうか。ルールは100人の人間に1から100までの数字の中から好きな数字を選んでもらい、その選ばれた100個の数字の平均値の三分の二(これを目標値と呼ぶ)を当てるというものです。

確立的に考えれば平均値は50になる筈(数字は整数だけの100通りではないのにあまりにも乱暴過ぎる結論ですが)なのでその三分の二で33前後という事になるのでしょう。しかしながら目標値に一番近い数字を当てた者が勝者となり、3000ポイント貰えるという条件があるので多くの人はそこまでは考える。そうなると今度は平均が33に限りなく近付く為にその三分の二である22前後が狙い目になる。しかしそこで予想を止めてしまう人は少ないでしょう。今度は平均が22に近付くのだからその三分の二で14前後が狙い目だ。そうやって続けていけば続けて行くほど目標値は小さくなり続ける。そうなった時にどこで予想を止めるか、周りの人間がどの辺りで手を打ってくるのかを予想して判断しなければならない。その辺りが人間の思考に関する質問なのでしょう。また、私が面白いなと感じた部分でもあります。

さて皆さんはどんな数字を予想しますでしょうか。質問に直接答えに行くのも良いでしょう。仕様がわからずに面倒だという方はここのコメント欄にでもどうぞ。もちろん当たっても何も出ませんけれども。ちなみに私の予想は少数は面倒なので整数で18という事にして置きます。最初は24にしようかなと思ったのですが、もう少し少ないかなと考えて修正してみました。でもこの予想は当たったとしても本当は無意味で、自分が予想した数値が有効数に含まれてこそはじめて意味が生じるのでしょう。


人工知能ロボットは人間と同じような感情を持つか

ロボットが人間と同じような感情を持つ日が来るのだろうなとふと思いました。映画や小説などの世界では頻繁に取り上げられるテーマですが、漠然とそれは在り得ないと思っていました。しかし考えてみると情報の処理速度や蓄積能力などが向上すれば、人間、もしくはロボット自身がそこに感情らしき物を見出してしまうのではないかと思いました。

つまりは多くの情報や経験を持ち、ある刺激に対してはある反応を返すという事を人間と同等に出来るようになればもう人間となんら変わりはないのかもしれません。人間の感情も脳内の反射(電気信号)でしかない訳ですし。そうなると今度はロボット自身が自分が機械である事を…と、本当に映画のシナリオのような事も起こりかねないのですね。そうなったとしたら人間はロボットに恋をするのか、ロボットは人間に恋をするのか、人間とロボットの違いは何なのか、そんな事を考えてしまいます。いま愛している人が本当は精密に造られたロボットだったとしたらその感情はどうなりますか?もしくは死んだ筈の大切な人の意識が完璧にコピーされたロボットが居たとしたら受け入れますか?いや、不治の病で明日にでも死んでしまう大事な人の意識を姿形まで完璧に似せて造られたロボットに移植できるとしたらどうしますか?いったい人間は何を愛し、何に幻想を抱くのでしょうか。

さて、もしかしたらその前に電脳化?とでも言うのでしょうか、脳の電気信号が全て解読されてそのパターンを保存する事によって個人の意識という物が取り出す事の出来る日の方が先に来るのかもしれません。そうなるともう体は入れ物でしかなくなってしまうので何でも良くなりますね。脳から発信された電気信号によって動く機械があればそれで良い訳ですから。なにか攻殻機動隊という物語の世界のような話になってしまいましたが、そこまで一気に進まなくても既に脳から発せられる電気信号を読み取って意思通りに動かせる義足や義手は開発されていますし、小型カメラに写された映像を視力の変わりにするという研究も進んでいるようです。殆ど目の見えない人が車を運転できるくらいにまでなるというのだから驚きました。


赤い色が何故「赤く」見えるのか

波長は関係なく、受容体や脳の処理部分がその光に対してそのように解釈(もしくは反応)しているからでしょう。他にどのような説明が必要かわかりませんが、例えば赤色の波長が420nmになろうとも、脳の処理部分があの色と処理すればそれはあの色になるのです。その処理部分が人によって違えばある人にはこの色に見えるのに、違う人にはあの色に見えます。ですので質問に対する直接的な答えはedgeoverさんの脳がそのように処理(もしくは反応)しているからになるでしょうか。もしもその部分に何か問題が起これば波長に関係なく全てが白黒やセピアのような見え方になったり、現在見ている世界とは全く違った色の世界が存在するかもしれませんね。もしもネガポジ反転なんてされたらと思うと怖いです。でももしかしたら私が思っているネガポジ反転の世界が通常の見え方として何の疑問も無く生きている人が居るのかもしれませんね。私の見ている世界は通常なのでしょうか。あなたの見ている世界は通常ですか。

ああ、でもこの意見には決定的に弱い部分があります。それは脳に色の情報を処理する部分が本当にあるのかというのを私が知らないことです。まあ光を処理する部分があるので恐らくは存在すると思いますが。それからもしかしたらその色を脳が処理するに当たって経験やら記憶やらが関与しているかもしれませんが、それは直接的な事ではないので言及していません。

追記です。

700nmとか420nmというのは、物理量(現象)です。赤とか青とかいっていっているは現象ではなく認識(感覚・イメージ)です。つまり、700nm の光が、何色と呼ぶかは別としても自分の中にある色(A色)に見えた(感じた)。420nmの光が、何色と呼ぶかは別としてもある色(B色)に見えた(感じた)。とします。それが、700nmをB色に感じず、420nmをA色に感じない理由を知りたいのです。

それはまさしく杆体細胞や錐体細胞その波長を受容してある種の反応を返している(脳に信号を送っている)からでしょう。つまり700nmの波長を受容体が感じた時にはAという信号を送り(反応をみせ)、脳はそれを受け取ってあの色を描写し、420nmの波長を受容体が感じた時にはBという信号を送り(反応を見せ)、脳はそれを受け取ってその色を描写するのです。

質問に対して直接的に書くのならば、700nmをB色に感じないのは受容体がAという信号を送っているからであり、同じように420nmをA色に感じないのは受容体がBという信号を送っているからです。ですので700nmの波長を受けてもしも受容体がBという反応を返せばB色に感じることでしょう。つまりどの波長でも受容体が一種類の信号しか送らなければ脳はそれを全て同じ色としか認識出来ないのかもしれません。全ては波長を感じて脳に信号を送る(反応を示す)受容体のさじ加減、もしくはその信号や反応に対する脳の解釈の仕方に由来するのだと思われます。

さらに追記です

> その考えが正しかったとして地球がもし森林が赤色、血液が青色だったら > 赤が安心出来て青が落ち着かない…という風になったのかもと思います。

私が知りたかったのは、上記引用のもし…に関して、なぜそうならなかったのか(なぜ森林が今見える赤色、血液が今見える青色にならなかったのか)という疑問です。 はてな 赤い色が何故「赤く」見えるのか

なるほど。少し質問の解釈がズレていたようですね。なぜそのような仕組みになったのかを知りたかったのですね。でもこれはもう推測の域を出ずに、なぜ標準的に指が五本なのかとか目が二つで耳も二つなのに鼻と口が一つで…足が二本でというのと変わらないでしょう。進化の過程で偶然そうなった。そのような感覚器官を発達させた個体が生き残ってそうでない者は淘汰されていったという結果でしょう。子孫を残す為の遺伝情報の継承ですね。その方が生存競争で有利だったからではないでしょうか。でもそれだと別に赤が青でも、青が緑でも良い訳で、科学的には答えは出ないような気がします。なぜそのように器官が発達したのでしょうね。確かに不思議です。

でももしかしたら視力というものを持った生物から徐々に研究して行けばわかるかもしれませんね。最初は光の有無を感じ取るだけの器官だったのでしょうか。それから徐々に波長の強弱を感じ取れるようになって白黒(明度彩度)で物を判別できるようになり、そして色の登場になるのでしょうか。いったい最初に登場した色は何色で、何を目的としてその物を他と区別するようになったのでしょうか。やっぱり食べ物でしょうか。それとも天敵でしょうか。これ以上の思考は科学的ではないので止めておきましょう。それこそ哲学や宗教的な思想になりそうですし、そもそもその光(色)は何の為に発せられているのかとか、その物自体がなぜ存在するのかの話になってしまうでしょうから。edgeoverさんもその考察の方向性を限定している訳ではないらしいですし、これ以上は不毛でしょう。

ところで想像だけでハッキリした色を思い描くのって難しいですよね。例えば様々な色の折り紙が並んでいる様子を想像したとして色の違いまでハッキリと想像する事ができるでしょうか。物の形ならばある程度までは想像できますが、色の種類までとなると鮮明には思い描くのは難しくありませんか。また、夢の映像が色のある世界かどうか思い出してみても面白いかもしれませんね。


広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由

もうこれはそのとにかく読んでみたくなりました。前々から興味のある分野です。私は本当に宇宙が存在しているとするのならば、宇宙人(知的地球外生命体)は存在すると思っています。ただしそれが地球人と同時に存在する可能性は低いと思います。と言うのもドレイクの公式を見て頂ければわかりますが、地球人と同じような生命体が存在したとしてもその生命体と通信できる可能性だけを抜き出してもかなり難しい事がわかります。地球人類だって宇宙や地球の歴史に比べれば瞬く間も無い程の歴史しかなく、ほんの二千年足らず(いや、実際は百年でも)前になっただけで宇宙(地球外知的生命体)からの信号を受信する事は不可能だったでしょう。そう考えると圧倒的な時間や距離の中で知的生命体同士が交信できる可能性など無に近いと思います。

しかしながら無に近いだけで可能性がない訳ではない。明日突然現れるかもしれませんし、もしかしたらもう既に現れているのかもしれません。これはSF的な話をしたいのではなくて、そういう可能性もあるという事です。本の内容ではなく、橋本大也さんの書かれた記事の「宝くじに当たる確率は、当たるか、当たらないかの2分の1だ」と言った友人がいたというのが面白かった。例えその確率が1/10000000000000000000だとしても、一回目で当たって残りの9999999999999999999回が外れる事もあれば、五回連続で当たって残りの…(略)が外れる事もある。まあそういう事なのでしょう。このような話をしていていつも思い出すのは、人類の最大の不幸は火星に生命が存在しなかった事だというような言葉です。誰が言ったのかも忘れましたし、言葉も正しいかどうか不明ですが、地球外に知的生命体が居れば、地球内の戦争は無くなるかもしれないという様な類の意味だったような気がします。外に争う相手が居ないから内部で分裂するという事でしょうか。

そして宇宙の話をする時に考える事がもう一つあって、それはこの世界の大きさについてです。宇宙は無限に広がり続けていると言いますが、それってどれくらい大きいのでしょうか。例えばその宇宙の外側について想いを馳せると、その外にはこことは時間の流れの違った世界があって、知的生命体や高度な文化が存在するのではないかと思ったりするのです。例えば私達が動物を飼育したりするように、その生命体は銀河を育てているという構図です。要するに私達の世界はその世界ではほんのちっぽけな、小学生が夏休みの自由課題で創った銀河の片隅の地球という所に暮らしているに過ぎない、そしてその世界の生命体からすれば私達は顕微鏡でやっと見えるくらいの大きさでしかないのではないかという様な想像です。

なんて考えてみても真実はわからないのですが、そんな風に想像力を働かせるのも時には面白いかなと思います。個人的には宇宙どころか、地球が丸い事も、世界や日本が地図のような形になっていることも、あまり信じていないのですが。


胸が詰まる

私は生きる事の究極の目的は生きる事なのだと思っている。昨日 こんな番組 を見てそれを再確認した。私はこの思想を持つようになってからというもの、どうして自分は生きているのかという事を考える時間が少なくなり、時間の節約になっている。元々そのような事を考えたりしない人にとっては理解し難い話かもしれない。しかしながら私はこのような哲学的な思想に耽るのが好きなのだ。一種の趣味と言っても良いかもしれない。

特に生きる事とは関係ないが、人間は映画を観たりドラマを観たり本を読んだりして感動する事が多々ある。昔はちょっとした事で心を動かされるのは格好が悪いと思っていたが、今となってはそれは損をしていると思うようになった。だから泣きたいと思ったら泣くようにしているし、感情を素直に表に出すようにしている。そうしないと精神衛生上あまり良くない。

しかしながら泣くまでに至らないが、胸を締め付けるような物語はあるし、所詮は他人の物語であるというどこか冷めた自分が居たりして中途半端に感動したままになる場合がある。特にそれがドラマだったりすると、一週間に一度そんな感情になってしまうわけだが、この感情に何か意味があるのだろうか。あえて言葉を当てはめるのならば“切なさ”とも言えるこの感情は悲しみと似ていてつらい。それでも止められない。他人の物語に自分の姿を投影して何らかの感情を得てどうなるというのだろうか。意味を探し求め続けるなんて無意味な事はしないが、このかすかな痛みを伴う感情を自ら追い求めてしまう理由を知りたいとは思う。まあ答えは既に出ていなくもないのだが。


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