2005年 07月の記事一覧

全国高等学校野球選手権大会県予選終了

台風7号、ディスカバリー、ネットショッピング

リンクに許諾を必要と考えるユーザが多数派?

千葉県北西部地震 M5.7 震度5弱

Project.R for FC2BLOG

微笑そして嘲笑

現役力士 普天王関のブログ

Firefox使いのWeb文章書きにはあると便利な拡張機能 『Copy URL+』

赤い色が何故「赤く」見えるのか

共食い

左右に異なる情報を同時表示する『デュアルビュー液晶』

CSS(マウスオーバー)で画像をアニメーション(連続)表示

『「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。』は間違い…かもしれないよ

はてなマップ ベータ版

七夕

ブログ中毒の為の更新停滞時の言い訳

レジ袋と買い物袋

Webサイトに我が子の写真を公開する危険性

全国高等学校野球選手権大会県予選終了

今年も全国高等学校野球選手権大会の県予選が終了した。そこには数え切れない数の現実のドラマが存在し、その一端しか感じ取れないものの多くの感動を頂きました。こうしてまた一つの世代、一つの季節が通り過ぎて行く。来年になれば今年の感動も薄れてしまうだろう。でもそれでいい。だからこそ今はこの想いをじっくりと味わいたいと思う。選手や応援団、そしてその家族や関係者の皆様お疲れ様でした。特に三年生の皆さん。感動を、熱い夏をありがとうございました。


台風7号、ディスカバリー、ネットショッピング

そうなのですね。私はネットショッピングもネットオークションも利用した事がありません。それどころか通販だってあまり利用していませんし、店舗に行って実際に商品を手にとって見ても散々迷います。貧乏性と言うかケチと言うか(同じか)。利便性を重視して損をしたくない、もしくは損をする可能性を軽視したり黙認したり無視したくないのだと自己分析したりしています。後悔をしたくないとも言い換えられますし、言い訳の落とし所を無くしたくないのかもしれません。

台風7号が日本列島をかすめて首都圏を通り過ぎました。身の回りでは目立った混乱もなくて良かったと思います。これから大雨になる地域の方はお気を付け下さい。それからまだ波も高いかもしれないので油断しない方が良いかもしれませんね。なんてここに書いても仕方ないのですが。

延期になっていたスペースシャトルの打ち上げが成功しました。安全性に対する不安もありましたが、野口聡一さんの乗ったディスカバリーは外部燃料タンクの切り離しも上手く行き、予定通り順調に軌道へ向かったそうです。このまま全て順調に進み使命を果たして無事に帰って来る事を祈っています。

ところでNHKで毛利衛さんが解説をなさっていましたが、さすが経験者は語るですね。格好良かったです。スペースシャトルの中ではどんな状態になっているのかと聞かれて想像や理論ではなくて答えられるのは日本では数人しかいませんからね。


リンクに許諾を必要と考えるユーザが多数派?

こういった話題は興味の無い人が多いのであまりエントリにしたくないのですが、少し驚いたので薄く触れようと思います。自分の考えが常に多数派だとは思っていませんし、少数派であることを嘆いたり見下したりしません。ましてや排除したりしようなどとは考えもせず、少数派である事に羨望したり誇りを持ったりするのですが、多数派だと思っていた事が少数派だと知れた時には衝撃を受けます。逆もまた然りです。 ちなみに議論の発端はサーバー様とはだと思われます。

現在では許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めており、許可を要求しないことを表す造語「リンクフリー」が成立している。 はてなダイアリー - 無断リンクとは

ん?許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めており?そうなのですか?リンクフリーとはそういった概念を覆す為に必要な主張だったのですね。知りませんでした。私はリンクフリーはただのオマジナイか、神経質な人への配慮、もしくはリンクの許可などというナンセンスで余計な手間を省く為の物でしかないと思っていました。トラックバックならいざ知らず、例えマナー上の話だとしてもリンクに許可を必要とすると思っている人が多数を占めているとは夢想だにしませんでした。でも確かにそういった手間を省こうと考える人が多いという事は、許可を得ようと問い合わせる人が多いという事なのかもしれませんね。私は少数の人に向けて自サイトへのリンクは自由だと書いているつもりでしたけれども。

以前の似たような議論の時も言いましたが、別に私はどちらでも良いのです。その人の意見を尊重しますし、それを侵害する気もありません。ただ自分の主張は守ってもらいたいと思うに過ぎませんので論点はそこではなく、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりという所です。本当にそうなのでしょうか。適当な数のアンケートを実施した結果なのでしょうか。少なくとも私が巡回している界隈ではリンクに許可が必要だと(思っていると)謳ってるサイトはありません。リンクフリーと提示しているサイトのオーナーがそのまま許諾を必要と考えるユーザーと同じではない筈なので、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりというのが真理かどうかにわかには信じ難い。

しかし、続々サーバー様 無断リンク禁止なのは学校・教育委員会の方なのだというエントリを読んで驚きました(と言うか呆れました)。教育現場では無断リンク禁止が蔓延っているらしいです。これでは無断リンク禁止無断リンクはナンセンス無断リンクはマナー違反と何の疑いもなく主張する人が出てくるのも頷けます。別にそれ自体が悪い訳ではないけれど、それが広いwwwで通じるかは別の話で、現状では狭いコミュニティでしか成り立たない概念であろうと思います。そういった事を教えるのが教育の役割だと思うのですが、この事実を情報フロンティア研究会はどう受け止めているのか訊いてみたい気がします。でもそんな風に私が思うのは無断リンク禁止はナンセンスだと、そう思っている人が多数派だろうと私が思っているからに過ぎず、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めているのならば、この話題自体が取り上げられる事に矛盾します。つまり許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めているのならば、無断リンク禁止無断リンクはナンセンス無断リンクはマナー違反という主張が当然の事で、それを主張した人が叩かれたり晒されたりする事は無い筈だという事です。以上の事から許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりというのは真実ではないと判断するのですがどうなのでしょうか。単なる無断リンク禁止はナンセンスだと思っている少数派の抵抗なのでしょうか。アンケートをとってみたいものですが、必要数が集まる可能性は皆無なので止めて置きます。

更に読み進めると

インターネットが成立した当時からのユーザー層は主に技術層であり、彼らは法解釈や技術解釈をそのままに捉える傾向にあるため、許諾不要論を支持する場合が多い。

対して利用歴の浅いユーザー層は主に技術知識に堪能でない層であり、彼らは現実世界のルールに照らし合わせて考える傾向にあるため、許諾必要論を支持する場合が多い。

単純に人口としては後者が圧倒的多数であり、また両者は思想的交流が殆ど無いため、意見の溝は埋まる気配がない。 はてなダイアリー - 無断リンクとは

と書かれていました。私は法解釈や技術解釈をそのまま捉えたり、現実世界のルールに照らし合わせて考えたりはせず、俺ルールやマナーも尊重し、wwwはwwwの概念で考えているのですが前者です。利用歴の浅いユーザ層が圧倒的多数である事は事実でしょうが、許諾必要論を支持する人が許諾不要論を越えているかはわからないと思います。そもそもこの場合のユーザとは誰を指していて、オーナーとは区別されるのかという問題があるのでこれ以上は言及しませんけれども。

という訳で無断リンクされるのを嫌がっているサイトにリンクするのには、マナーの観点から許諾を必要と考えるユーザが多数を占めているというのなら納得出来なくもないのですが。どうなのでしょうか。

ところで話が逸れるので末尾になりましたが、無断リンク禁止を謳っている学校のWebサイトの作者はGoogleからリンクされている事をどう思っているのでしょうね。

追記(2005年7月27日13時00分00秒)

あれ?編集されてますね。引用して置いて良かったです。これって誰でも編集できるのでしたっけ?最初に書いた方と編集した方を特定する事は可能なのでしょうか。別に誰か分かった所で何と言う訳では無いのですが、私の文章がキッカケだったとしたら申し訳無いなと思ったりします(自意識過剰ですね)。


千葉県北西部地震 M5.7 震度5弱

本気で驚きました。生まれてから今までで経験した地震の中で一番大きなものでした。それでも棚や机から物が落ちる事はありませんでしたが、立て掛けてある物が倒れたりはしました。それにしても揺れている数十秒の間に私は何もする事が出来ませんでした。窓も開けられなかったし火元にも頭上にも考えは及ばない。ただなすがまま揺れが治まるのを待っていただけでした。きっとどんなに訓練していて心の準備が出来ていても揺れている間は何も出来ないのではないかと思います。でも多分それは仕方ないと思うので、揺れが治まった後の対処をしっかり考えておかないといけないなと思いました。それは個人的にだけではなく社会的にも。

この地震で首都圏の交通機関が麻痺しました。前々から東京で大地震があったら交通機関が機能しなくなり帰宅難民が相当数出ると言われていましたが、それが少しだけ現実のものとして現れたのではないでしょうか。こんな言い方をすると怪我をされた方や損害を被られた方に失礼ですが、いい練習や心の準備になったのではないかと思います。これを教訓に更なる地震対策を徹底して欲しいと思いました。

それにしても阪神淡路大震災や新潟中越地震では余震でも震度5弱が何度も起きている。テレビの向こうの余震の恐怖はなかなか伝わってきませんでしたが、今になって改めてその恐怖がどんなものなのか、その何分の一かは理解する事が出来たような気がします。向こう数日は震度4クラスの余震が起こる可能性があるという事ですが、地震はもう嫌だ…。

追記

震災時に交通網が麻痺して使えなくなった時に都心から家まで歩いて帰るための地図がタイミング良く昭文社から発売されたようです。売れるかもしれませんね。


Project.R for FC2BLOG

発端はテンプレートのベースを作るという記事だと思います。読んで頂ければわかりますが、FC2ブログはHTMLを自由に弄れるので、その基礎となるテンプレートを創って、最終的にはテンプレートのHTMLを全く弄ることなく、CSSを変更するだけで簡単にデザインを入れ替えられるようなHTMLを創るというお話で、それを一人ではなく、何人かでやりませんかという呼びかけでした。

私はこれをパソコン遊戯日記さん経由で知ったのですが、つい最近、参加者や方向性が定まってPRFなるユーザレベルのプロジェクトが発足しました。FC2ブログのファンである私としてはとても興味深いプロジェクトです。

ということで、デザイン変更が楽になるのならば何かお手伝いできたらなと思ったのですが、参加されているメンバーのブログなどを拝見させて頂いた結果、私なんぞは邪魔になるだけだと判断し、影ながら応援するだけにしました。現在のメンバーは以下の通りです。

どこをどう見てもレベルが違います。洵さんの例えを借りるのならば私はクリア後のDQ3の、マスター賢者3人に遊び人を一人混ぜたパーティーの戦闘どころか黄金のツメです。もしくはDQ4の馬車の中の棺桶うまのふんか、それともストーリー上パーティを一人減らしてまで仲間に加えなければ進めない上にレベルも低く、コントロールも出来ないA.Iで戦闘し、死んだ仲間にホイミをするような頓珍漢な奴でしょう(長い)。しかも私はdiv恐怖症患者の手記に書かれているようなdiv恐怖症を患っているので、少し余分なくらいに「span タグ」や「div タグ」でまとめておくことも出来そうにありませんし、癖のあるマークアップや正しくないclassやidの命名など、おおよそ一般的とは言えない様なテンプレートしか創っていないので、万人が利用できるものを創るのには不向きのようです。しかもカレンダー部分など、自分では絶対に利用しないもののマークアップまで考えるとなると大変ですし、卓袱台でもひっくり返しそうになるかもしれません。まあマークアップだけならそれ程でもないかな。

大変と言えば、FC2ブログは再三申し上げている通り自由度が高いのですが、自由度が高いということはそれに比例してテンプレート作りも大変です。具体的に言えばテンプレート機能一覧をご覧頂ければわかりますように、FC2ブログでは一つのHTMLファイル内に全ての場合に関する記述をしなければなりません。その場合分けと言うのが数が多く、トップページとそれ以外のページ、個別記事や月別記事、コメント欄に検索結果など多岐に亘ります。それをブロック化する事を考えるととても大変なのですが、テンプレートのベースとなるXHTMLを考える2のNoriyaさんのコメントを読むとそういったことも考慮に入れられているようなので、きっと具合の良い物が出来上がるだろうと信じています。ただ気になるのが、私のようにカテゴリ一覧や月別一覧表示のページを、他のページとはHTML的にも少し違う記述にしたり、ナビゲーションや日付などの位置を変更したりするとなるともうひっちゃかめっちゃかになりそうですね。あまりに場合分けの記述が多すぎるとテンプレートのベースとなるXHTMLを考える2の徳保さんのコメントのようなわかり易いルールを設定してもなかなか直感的に理解できて簡単に扱えるもの、自分好みに編集し易い物を創るのは難しそうです。

そういう訳で私が参加するとしたら以下のようなデザインを実際に考える時になるでしょうか。

しかし、『テーブルレイアウト移行組のために、divを記述しできるだけCSSの記述方法を分かり易くする』という考えも一利あります。そこで、使用例としてベースのXHTMLを使ったテンプレートを実際に作ってみせるというのはどうでしょうか。これなら3カラムと2カラムのテンプレートを別々に示せるわけで、より初心者に優しい気がします。 鯖コップ

そこまで本格的にプロジェクトが進行したらcss Zen Gardenのようなデザインコンテストを開く事も可能かもしれませんね。そうなったらFC2ブログの共有テンプレートは飛躍的に数を増やし、他の追随を許さないでしょう。そしてトンデモなマークアップのテンプレートも淘汰されて良いこと尽くめになるかもしれません。少し希望論すぎる気もしないでもありませんが。それにしてもユーザレベルのプロジェクトが直接的に企業の利益になりそうなのが少し気にかかりますね。それがまたユーザに返ってくる訳ですから良いのですが、プロジェクトの参加者の方たちに対する功労賞は何か無いのかなと無粋な事を考えてみたり。メンバーの皆さんはそんな事は考えていませんね。ごめんなさい。

ところで話は変わるのですが、コメントのパスワード欄にクッキーを効かせる事って出来ないのでしょうか。誰も不便に思って要望を出したりしないのかなと疑問に思っています。それとも既に出来るのでしょうか。自分でJavaScriptを書く以外の方法で、変数を入れるだけの簡単な方法があるのならば教えて欲しいです。それから上記プロジェクトの参加者の方々の書いた関連記事にトラックバックを送ってみたいなと思ったのですが、テーマが同じなだけで特にこちらを読んで貰う必要もなさそうですし、参加表明みたいになってしまうのもどうかと思うのでリファラだけにしておこうと思います。

それでは少し長くなりましたが、どなたか私とは違って技術や知識に自信のある方で、アイディアとやる気、そして興味のある方は是非参加なさってみてはいかがでしょうか。って私が勝手にオススメしても迷惑かもしれませんが。


微笑そして嘲笑

近所のコンビニにネット料金を支払いに行ったら私の前に小学校低学年くらいの少女が並んでいました。少女は手に持ったアイスを差し出すと店員の早口で聞き取り辛い「袋はどうしますか?」という問いにもきちんと対応し、強く握られた小さな手から十円玉六枚と五円玉一枚を出しました。本当の所はわかりませんが、きっとお小遣いを貯めるか削るかして捻出したのでしょう。自分のお金で買ったアイスを六十三円の代わりに手に持って嬉しそうに店を出て行きました。六十円のアイスであれだけ喜ぶのを見て、お祖父さんやお祖母さんが孫に対して何でも買ってやりたくなるという気持ちがわかったような気がしました。それと同時に私にもそんな時代があったなぁなんてしみじみと感じたり。

そんなこんなで気分が良かったのですが、ふと思い立って自分のリモートホストを検索にかけてみたら全く身に覚えのないの書き込みが一件ヒットし、その内容のくだらなさに溜息が出ました。リモートホストが同じだからといって即同一人物だと見る人はあまりいないでしょうが、どこかのアクセス解析に引っ掛かった私と、そのような他人が結び付けられて考えられると少し嫌だなと思い脱力しました。


現役力士 普天王関のブログ

読売新聞で紹介されていて知ったのですが、普天王関がブログを書いています。各取り組みに対しての感想や反省、喜びの表情など、とてもリアルに伝わってきて面白いです。取り組みを観ていてどうしてそこで足が出ないとかそこで引くから駄目なんだとか自分の形になったのに攻めるのが遅いとか立ち合いで出遅れたからだよなどとテレビの前で呟いてる事に対して本人がどう思っていたかを知ることが出来るなんて楽しくて仕方がありません。相撲に興味の無い方でもこういう所が入口になるかもしれませんね。欲を言えばもう少し裏側(日常)っぽい話や、他の力士との交流が見られるともっと面白くなると思うのですが、角界は厳しいのでしょうか。相撲人気が低迷して久しいですが、こういったところからでも再び人気に火がつけばなと思います。

相撲ついでにもう一つ。最近貴乃花親方が協会改革案を提言して日本相撲協会から厳重注意を受けたらしいです。詳しい内容の情報源が見つからないのですが、貴乃花親方が口にする改革案は私のような外野から見ればどれもそれなりの意見で、とても協会批判と呼べるような物ではありませんでした。貴乃花親方が相撲界の発展を考えて発言した事が即批判と取られてしまう情けない状況に嫌気がさします。しかも親方になって三年目なのに偉そうなことを言うなという様な発言もあったようです。ここでどうしてだかわかりませんが堀江社長を思い出してしまいました(ところで若乃花と堀江社長って似ていますよね)。そして更に、貴乃花親方が提言している内容について日本相撲協会側は既に手をつけているかのような返答をしていましたがどれも的外れで消極的なものばかりでした。いつまでも過去の人気に甘えて楽観しているだけでは事態の好転は望めないでしょう。誰が言ったか知りませんが、人は歳を取れば相撲を観に来るという受身の姿勢では人気の復活は遠い未来かもしれない。


Firefox使いのWeb文章書きにはあると便利な拡張機能 『Copy URL+』

なぜ今までこの拡張を知らなかったのが不思議で仕方がない。この拡張機能を用いればリンクの生成や引用のマークアップがかなり楽になります。ページのタイトルをコピーする時もいちいちソースを開く必要もなくなりますし良い事だらけです。

私は文章の下書きをez-HTMLで行っているので、マークアップにはそれほど時間を費やさない。しかしこの拡張はかなり便利で、右クリックのコンテキストメニューから操作を実行すると、そのページのタイトルやURI、選択文字列などを把握して、マークアップした任意の形でクリップボードにコピーする事が出来る。ダウンロードからインストール、細かい設定やカスタマイズについては Firefox拡張copyurlplusのメモ にとても詳しく書かれていますので参考にして下さい。以下は私が設定しているuser.jsの該当部分です。

タイトルのみコピーする
user_pref('copyurlplus.menus.1.label','Title');
user_pref('copyurlplus.menus.1.copy','%TITLE%');
タイトルをa要素でマークアップする
user_pref('copyurlplus.menus.2.label','link');
user_pref('copyurlplus.menus.2.copy','<a href="%URL%" title="%TITLE%">%TITLE%</a>');
リンクをリストで表現する
user_pref('copyurlplus.menus.3.label','Ulink');
user_pref('copyurlplus.menus.3.copy','<ul>\n<li>\n<a href="%URL%" title="%TITLE%">%TITLE%</a>\n</li>\n</ul>');
選択文字列をblockquoteでマークアップする
user_pref('copyurlplus.menus.4.label','Block');
user_pref('copyurlplus.menus.4.copy','<blockquote cite="%URL%">\n<p>\n%SEL%\n<cite title="%TITLE%"><a href="%URL%">%TITLE%</a></cite>\n</p>\n</blockquote>');
選択文字列をquoteでマークアップする
user_pref('copyurlplus.menus.5.label','quote');
user_pref('copyurlplus.menus.5.copy','<q cite="%URL%" title="%TITLE%">%SEL%</q>');

どれも私がここの記事を書く際に利用するマークアップなので他の人には向かないかもしれません。また、参考にさせて頂いたサイト様の焼き増しでもあります。こういう書き方をすれば良いのかという参考になればと思うのと、自分用のバックアップです。blockquote要素内のp要素内にcite要素が含まれていたりと、少々首を傾げたくなるようなマークアップかもしれませんがあまり突っ込まないで下さい。ちなみにあまり検証していませんが、多分 label に日本語は使用できないようです。

ところでこのCopy URL+はもっと多くの可能性を秘めているような気がしてならないのですが、もっと私には考えも及ばないような利用法は無い物でしょうか。変数的な物がもっと多種に渡れば幅がグンと広がるような気がしますね。個人的に今のところは昔テーブルレイアウトで創ったサイトや、生のテキストをp要素などでマークアップし直す時に使えるかなと思っているのですが、そのような場合にはページごと変換してくれる便利なツールがあったような気がします。

それから不満もあって、普通に右クリックしたときと、文字列を選択してから右クリックをした場合とでコンテキストメニューに表示させるか否かを制御出来たら良いのになと思いました。例えば引用のマークアップの場合は通常の右クリックのの時には必要ないので非表示になっていた方がスッキリしていて、選択して実行する時のタイムラグが少しは減るような気がします。まあこれも配置や慣れによって徐々に緩和されるのでしょうけれども、何か良い方法はないものでしょうか。また、デフォルトで設定されている選択肢を削除する事は出来ないのでしょうか。デフォルトの選択肢では片方にしか表示しないものもありますし、コンテキストメニューに表示されるアイコンも消せるようなので、なんとかなりそうな気がするのですが。

Copy URL+のフォルダを開いてjarを解凍してjsファイルを覗いて見たのですが何が何やら…。変に弄っておかしくなってしまっても困るので、これを読んだ何方かがいつか何処かにその方法を提示してくれる事を期待し、委ねながら妥協する事にしました。そしてそのサイトからトラックバックがあると嬉しいな等と夢想しつつ当エントリを終えようと思います。


赤い色が何故「赤く」見えるのか

波長は関係なく、受容体や脳の処理部分がその光に対してそのように解釈(もしくは反応)しているからでしょう。他にどのような説明が必要かわかりませんが、例えば赤色の波長が420nmになろうとも、脳の処理部分があの色と処理すればそれはあの色になるのです。その処理部分が人によって違えばある人にはこの色に見えるのに、違う人にはあの色に見えます。ですので質問に対する直接的な答えはedgeoverさんの脳がそのように処理(もしくは反応)しているからになるでしょうか。もしもその部分に何か問題が起これば波長に関係なく全てが白黒やセピアのような見え方になったり、現在見ている世界とは全く違った色の世界が存在するかもしれませんね。もしもネガポジ反転なんてされたらと思うと怖いです。でももしかしたら私が思っているネガポジ反転の世界が通常の見え方として何の疑問も無く生きている人が居るのかもしれませんね。私の見ている世界は通常なのでしょうか。あなたの見ている世界は通常ですか。

ああ、でもこの意見には決定的に弱い部分があります。それは脳に色の情報を処理する部分が本当にあるのかというのを私が知らないことです。まあ光を処理する部分があるので恐らくは存在すると思いますが。それからもしかしたらその色を脳が処理するに当たって経験やら記憶やらが関与しているかもしれませんが、それは直接的な事ではないので言及していません。

追記です。

700nmとか420nmというのは、物理量(現象)です。赤とか青とかいっていっているは現象ではなく認識(感覚・イメージ)です。つまり、700nm の光が、何色と呼ぶかは別としても自分の中にある色(A色)に見えた(感じた)。420nmの光が、何色と呼ぶかは別としてもある色(B色)に見えた(感じた)。とします。それが、700nmをB色に感じず、420nmをA色に感じない理由を知りたいのです。

それはまさしく杆体細胞や錐体細胞その波長を受容してある種の反応を返している(脳に信号を送っている)からでしょう。つまり700nmの波長を受容体が感じた時にはAという信号を送り(反応をみせ)、脳はそれを受け取ってあの色を描写し、420nmの波長を受容体が感じた時にはBという信号を送り(反応を見せ)、脳はそれを受け取ってその色を描写するのです。

質問に対して直接的に書くのならば、700nmをB色に感じないのは受容体がAという信号を送っているからであり、同じように420nmをA色に感じないのは受容体がBという信号を送っているからです。ですので700nmの波長を受けてもしも受容体がBという反応を返せばB色に感じることでしょう。つまりどの波長でも受容体が一種類の信号しか送らなければ脳はそれを全て同じ色としか認識出来ないのかもしれません。全ては波長を感じて脳に信号を送る(反応を示す)受容体のさじ加減、もしくはその信号や反応に対する脳の解釈の仕方に由来するのだと思われます。

さらに追記です

> その考えが正しかったとして地球がもし森林が赤色、血液が青色だったら > 赤が安心出来て青が落ち着かない…という風になったのかもと思います。

私が知りたかったのは、上記引用のもし…に関して、なぜそうならなかったのか(なぜ森林が今見える赤色、血液が今見える青色にならなかったのか)という疑問です。 はてな 赤い色が何故「赤く」見えるのか

なるほど。少し質問の解釈がズレていたようですね。なぜそのような仕組みになったのかを知りたかったのですね。でもこれはもう推測の域を出ずに、なぜ標準的に指が五本なのかとか目が二つで耳も二つなのに鼻と口が一つで…足が二本でというのと変わらないでしょう。進化の過程で偶然そうなった。そのような感覚器官を発達させた個体が生き残ってそうでない者は淘汰されていったという結果でしょう。子孫を残す為の遺伝情報の継承ですね。その方が生存競争で有利だったからではないでしょうか。でもそれだと別に赤が青でも、青が緑でも良い訳で、科学的には答えは出ないような気がします。なぜそのように器官が発達したのでしょうね。確かに不思議です。

でももしかしたら視力というものを持った生物から徐々に研究して行けばわかるかもしれませんね。最初は光の有無を感じ取るだけの器官だったのでしょうか。それから徐々に波長の強弱を感じ取れるようになって白黒(明度彩度)で物を判別できるようになり、そして色の登場になるのでしょうか。いったい最初に登場した色は何色で、何を目的としてその物を他と区別するようになったのでしょうか。やっぱり食べ物でしょうか。それとも天敵でしょうか。これ以上の思考は科学的ではないので止めておきましょう。それこそ哲学や宗教的な思想になりそうですし、そもそもその光(色)は何の為に発せられているのかとか、その物自体がなぜ存在するのかの話になってしまうでしょうから。edgeoverさんもその考察の方向性を限定している訳ではないらしいですし、これ以上は不毛でしょう。

ところで想像だけでハッキリした色を思い描くのって難しいですよね。例えば様々な色の折り紙が並んでいる様子を想像したとして色の違いまでハッキリと想像する事ができるでしょうか。物の形ならばある程度までは想像できますが、色の種類までとなると鮮明には思い描くのは難しくありませんか。また、夢の映像が色のある世界かどうか思い出してみても面白いかもしれませんね。


共食い

テレビで狩が上手くいかないチータの親子なんかを見ていてふと思ったことがあります。水中生物や昆虫などで共食いをする種類がいますよね。その理由は良くわかりませんが、主に栄養補給からだと推測します。ザリガニなどを飼ったことがある方は一度くらいは目にしたことと思います。それほど多くはないらしいですが、カマキリなどは雌が雄を同種の雄であると認識できなくて交尾の最中にすら食べてしまうという事もあるらしいです。

それに比べて雑食や肉食の大型の動物による共食いはあまり聞いたことがありません(人間のカニバリズムについては対象外なので考えないで下さい)。例えば鮫は鮫を襲ったりするのでしょうか。チータはチータを、ライオンはライオンを食べたりするのでしょうか。あまりそういった事例を聞いた事がありません。なぜ食べないのでしょうか。

その疑問に対する私の考えは、自分と同種の個体である場合、狩に成功する可能性が低く、逆襲に遭った時の危険性が高いからというものです。狩は基本的に自分よりも弱い物を対象に行いますが、同種の個体ならば力関係は拮抗し、逆に自分が危険に晒されてしまいます。だから共食いは起こらないのではないかと思っているのですが、どうも釈然としません。背に腹は変えられないと思うのです。

例えばもう空腹で狩を行う力が無くなり、このままでは死んでしまうとなった時に同種の個体を襲うということはないのでしょうか。極端な話、自分の子供に手をかけるという事はないのでしょうか。在るのだとしたらその事例を、無いのだとしたらどうして無いのかを知りたいなと思いました。子孫を残し、自分の遺伝子を継承したり、同種の絶滅を防ぐ為の遺伝子レベルの問題ではないかとも思っているのですが、どうなのでしょうか。


左右に異なる情報を同時表示する『デュアルビュー液晶』

これはもう素直に感動です。こうやって技術が進歩していく過程を目の当たりにするとそれだけで長生きしたくなります。おそらく三年か五年後には当たり前の技術になっているのでしょうね。気になったのは音はどうするのかという事ですか、上手い具合に制御できるようになるか、音を必要としない場所で活用されれば良いと思います。想定用途がやや貧弱のような気がします。もっと色々な所で幅広く活用できると思うのですが、省スペースになりますし。後はコストの問題でしょうか。

似たようなニュースで世界初! フィルム基板を用いたカラー電子ペーパーを開発というものもありました。このような技術が合わさってどんどん便利な世の中になってくれればと思います。有機ELDを用いたディスプレイの開発など、期待は膨らむばかりです。そろそろ現実的な3D関係の技術が発表されても良い頃だと思うのですが。

感動と言えば知床の世界自然遺産への登録が決まりましたね。純粋に喜ばしく思います。これを機に観光客が増えるかもしれませんが、屋久杉が傷つけられるというような事件があった事からも考えると、なるべくそのような場所には足を踏み入れない方が良いと思うのです。でも観光で稼いで生活している方もたくさんいらっしゃる筈ですのでそうも言っていられませんよね。もしも知床に限らずそのような場所に旅行などをする際には、配慮ある行動を心掛けて欲しいと思います。


CSS(マウスオーバー)で画像をアニメーション(連続)表示

また人の記事を引っ張ってきてしまいました。たまたま観ていたはてなブックマークのCSSでアニメーションができますよ~!という題名に惹かれて覗きに行くとそこには魅惑の世界が。なんでもWebReferenceというサイトでその方法が紹介されていたらしいです。英語は苦手なのですが、まだcat@logさんの所ではサンプルが出ていなかったのでExcite先生に翻訳してもらいながら形だけのサンプルを作ってみました。以前紹介しましたCSSで画像を拡大表示などを併せるなどして応用すれば、ギャラリーなどで上手い具合に使用出来るのではないでしょうか。

実行例の下部に配置されているグラデーション部分をマウスオーバーすると写真が次々と変わると思います(最初は画像の読み込みに少し時間が掛かるかもしれません)。ここでの詳しい説明は省かせて頂きます。と言うのもまだ詳しい説明が出来るほど私自信の理解が深まっていないのです。それから例によって閲覧想定環境のみでしか確認しておりませんので悪しからずお願い申し上げます。割と即席なので不具合も予想されます。

それにしても本当にCSSって色々と出来るのですね。普段JavaScriptをオフにして巡回している、JavaScriptに対して圧倒的に無知な私にとっては嬉しい限りです。


『「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。』は間違い…かもしれないよ

今日はトラックバックでページランクが下がる云々について言及するのではありません。情報の伝達速度やその広がり方、メディアリテラシーについてです。誤解の無い様に始めに断っておきますが、私は言及なしトラックバックでページランクが下がるとは思っていません。普通に考えると、それでページランクが下がるのならば通常のサイトの外部へのリンクはその何割もがページランクを下げる行為になりますし。まあそれがGoogleの新しい順位決定方法で変わったと言うのならば話は違いますけれども。

事の発端はGoogleの新しい順位決定方法のすべて。SEO関係者必読、グーグル特許出願文書全訳を受けてトラックバック弾かーという記事が書かれた事に始まります。その経緯は「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。を読んで頂ければわかります。

それで、結論としては「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違いデマであるという結論に落ち着きそうなのですが、果たしてそれで良いのでしょうか。まあ事実として正しい認識ならばそれが広まる事になんら異論は無いのですが、それが正しいという裏付が取れ無ければ『「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。』は間違いかもしれないと疑ってかかる必要があると思うのです。それをまた松永さんの記事だけを鵜呑みにして言及なしトラックバックでページランクが下がるは間違いでしたと何も確認しないで反応をするのは同じ間違いを二度も繰り返す事になりかねないのです。もしも次に「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。を否定し、やっぱりトラックバック弾かーが正しかったという記事が出たらどうなるのでしょうか。トラックバック弾かーがデマだったと「言及なしトラックバックでページランクが下がる」は間違い。を根拠にして発信するのは同じ事の繰り返しです。

ですので今回の場合は情報源であるGoogleの特許出願文書をきちんと読んだ上で反応すべきだと思うのです。もしかしたらトラックバック弾かーが正しいのかもしれないし、両方とも間違っているかもしれません。このことについては松永さんも

やはり「情報源に当たる」こと、自分自身で情報の真偽を確認することの重要性が身にしみてくる。今回の情報でも「らしい」という推測・憶測が引用されていて、それをみんな受け入れてしまっている。今、ネットを使う人に必要なのはメディアリテラシー教育ではないだろうか。 絵文録ことのは

と仰っています。言及なしのトラックバックがGoogleのページランクを下げるか否かでどちらが正しいのかという問題を問いたいのでは無く、あるそれらしい情報に対して自分がどのようにして接し、見極め、選別し、吸収し、再発信するかを考える必要があるのではないかというお話です。正しい情報云々については検索サイトから来た君へという記事を読むのも面白いかと思います。

ついでに個人的なトラックバック論ですが、言及(リンク)無しのトラックバックを受け付けない設定でも構わないのですが、その旨をわかり易く提示して置いて欲しいなと思います。例えばリンクはしなくともq要素で引用しcite属性などでURIを示したり、テーマが同じでも全く別の解釈の記事を書いたりした時に、純粋に相手オーナーに読んで欲しいなと思ったりしてトラックバックをする事もあるからです。それでも言及(リンク)が無いのは邪魔臭いとか気に障ると言われたり、トラックバックに関する設定など自分で探せと言われればそれまでですが、記事内に言及リンクを入れるのって結構難しいんですよね。私の文章力が無いだけかもしれませんが、別の解釈をして自分の主張をしているだけなのに、相手の記事を否定している様に見えてしまったりするので。なんとなくこの風潮が広まらなければ良いなあと思っていますが、ついに流れが動き出してしまったようですね。ところで完全なスパム以外の、内容に関係のある言及(リンク)無しのトラックバックってそんなに弾きたいものなのでしょうか。確かに少しガッカリはしますけれども。


はてなマップ ベータ版

何かが出現する度にそれは危険だと騒ぎ立てるのは好かないのですが、より良いサービスが発揮されるにはそういった危惧も必要なので空騒ぎしてみます。

昨日、Google Maps APIを利用した はてなマップベータ版 という地図サービスが開始され、衛星写真の地図上にマッピングされたキーワードや写真を眺めることが出来るようになりました。詳しい使い方などは良くわからないのですが、写真にGPS位置機能が含まれていなければならないだとか、キーワードの場所を指定し緯度と経度を入力して登録しなければならないという手順が必要なものの、地図上に写真やキーワードをほぼ無規制で登録できるようです。詳しくは以下を参照して見て下さい。

これについて何を騒ぎたいかと言うと、写真やキーワードの選定は誰がしているかということです。ほぼどのような写真でも登録できてしまうようですが、個人情報が晒される事はないのでしょうか。ヘルプには尚、GPS位置情報は、ご自分の自宅や居場所などの手がかりとなる重要な情報です。情報を公開する際には、この点に注意し慎重に操作を行ってください。と書かれていますが、そんな注意書きだけで大丈夫なのか心配です。それとも24時間体制で監視してくれているのでしょうか。

そんな心配をするのも、例えば有名人の自宅の傍に住んでいる人がその家の写真を撮って○○の家などと晒したらどうなるのかという疑問があるからです。先日 Webサイトに我が子の写真を公開する危険性 で書いた心配を数段飛び越えた次元の問題です。私も贔屓にしている有名人の自宅がはてなマップを見ただけで簡単にわかるのならば、一度は行って見たいなとは思います。自宅でなくとも、良く出入りしている店や、通っている施設などでも同様です。一億総ジャーナリストとも言われる時代なのですから、それなりの危険性や可能性は充分に在ると思うのです。

更に極端な話、写真にGPS位置機能が含まれていれば顔写真も登録可能って事ですよね(それは無理なの?)。個人情報が簡単に晒されて収得できてしまう媒体が増えてしまった気がします。とは言ってもレスポンスが素早くて安定していればとても魅力的で多くの可能性を感じさせてくれるサービスなので、荒らし行為などにはどういった対処をするのかなど、その辺りの規約なりの整備を厳重にして頂けたらなぁと期待します。

ところでこういった危惧を示す方が少ないように感じるのですが、何かそれなりの制約なり機能なりがあるのでしょうか。どなたか私の心配をあっさりと払拭してくれるような情報や、私と同様の意見をお持ちの方のコメントなりトラックバックなりを期待しています。


七夕

小学校六年の頃に学校で七夕に関する行事があった。短冊に願い事を書いて笹に吊るすアレだ。特に願い事が思い付かなかった私は皆の願い事が叶いますようにと書いて吊るした。皆が何と思ったのかは関係ないが、担任の教師が私の短冊を見て何か注意らしき事を言ったのを覚えている。今思えばあの頃も何か間違っていて、既にズレていたのではないかと思う。私が?いいや、教育が。そんな事を天の川の下で思ふ。


ブログ中毒の為の更新停滞時の言い訳

別にこのネタを書きたいが為に更新を滞らせた訳ではないのですが、毎日更新に追われているブログ中毒気味の方がネタが無くなって遂に更新を滞らせてしまった時の言い訳を思い付いたので書いてみます。

話は簡単で、停滞明けのエントリで、自分がどれだけブログに汚染されているか、ブログ中毒になっているか、更新恐怖症に陥っているか、更新脅迫概念に襲われているかなどを計る為に故意に更新を中止していましたと宣言するのです。そうすれば「ああネタだったんだ」と思わせる事が出来るかもしれませんし、自分に対する言い訳にもなります。ただ、この方法は、そう何度も使えなかったり、広まれば広まるほど嘘だとバレてしまうなどの多くの欠点を含みます。使用する際は最終手段としてご利用下さい。


レジ袋と買い物袋

ちょっと都会的な女子高生風の方がショッピングバッグを持参していました。それを見て自分も意識が足りないなと思い、次回からは買い物袋を持参する事に決めました。その為には買い物袋を用意しなければならない訳ですが、使い勝手の良い物を探さなくてはなりません。思い付いた条件を書き連ねてみることにします。

物理的にと言うか何と言うかそんな都合の良い買い物袋は無いだろうなあと書いていて思いました。何かを妥協しなければいけませんね。地球の環境を犠牲にするよりは遥かにマシですから。


Webサイトに我が子の写真を公開する危険性

度々で恐縮ですが、徳保さんの記事について考察してみます。それだけ私の興味に触れる記事を書いているという事で。徳保さんは記事内で

ウェブサイトの写真を怖がる発想を敷衍すれば、可愛い我が子が公共の街路を歩くことさえ、危ないという結論になります。いつ誰に目を付けられて、ストーカーの被害にあうかわからない。変質者に襲われるかわからない。子どもが一人で歩いていれば、家は近所だとすぐわかる。適当に尾行すれば住所もわかる。そこで番号案内サービスを使えば電話番号もわかる。怖いですね。

ふだんはそういうことを忘れているわけでしょう。気にしても仕方ないないレベルだと思っているわけでしょう。日常生活を覆面無しで過ごしているのに、いまさらネットで写真を出す出さないで悩むという感覚、理解はできますが、同意はいたしかねます。 趣味のWebデザイン

と仰っています。これが私自身のことであるのなら先日も書いた通り、顔も名前も住所も電話番号も特に秘匿している訳ではないので良いのですが、子供の事となると話は別です。そもそもなぜWebサイトの写真と公道を歩くのを同じレベルで扱うのかが疑問に思います。子供が公道を歩くのは時間にしてどれくらいでしょうか。そしてそれを確認できるのはどれくらいの人数でしょうか。Webサイトに写真を何の制限も無く公開した場合は、その時間はほぼ常時となり、閲覧者は世界中の不特定多数になりますよね。やはりそれをなぜ比べるのかが疑問です。

私は出来る限り危険を排除するのが親の務めだと思うのです。確かに公共の街路を歩くことは気にしても仕方のないレベルでしょうが、Webサイトにて子供の写真を公開しないようにするのは気にしても仕方のないレベルでしょうか。Webサイトで写真を公開するのは健全な日常生活を送るために必要な事なのでしょうか。そしてしつこいようですが、それは気にしても仕方のないレベルなのでしょうか。私はそうは思いません。Webサイトで写真を公開する事を止めてもそれほど日常生活に影響は無いと思うのです。強いて言うのならば楽しみが一つ減るくらいにしか思えないのですがどうでしょうか。でもそれは趣味のレベルでしょう。Webサイトで写真を公開する趣味が無くなったら健全に生きて行けないと言うのならば話は別ですが。

気にしても仕方のないレベルだと徳保さんが仰る可愛い我が子が公共の街路を歩くことですら、危険の種類が直接的であるか間接的であるかの違いはあるにせよ、防犯ブザーを持たせたり、集団下校させたり、知らない人に声を掛けられても着いて行かないという教育を施したりして、少しでも危険を回避しているのです。徳保さんは可能性とバランスを挙げていますが、私はその可能性は出来る限りゼロに近づけるべきであると思いますし、Webサイトにて子供の写真を公開しないようにするのは当然の危機管理であって、決してバランスの崩れた事ではないと思うのです。「事故の可能性があるから電車で旅行はしない」「生活費を稼ぐための通勤と異なり自粛は可能」という例は確かに極端でしょう。でも可能なレベルですよね。Webサイトにて子供の写真を公開しないようにするのはそれよりも更に許容範囲であり、極端な話ではないと思うのです。まあこの辺りは意見の相違なのでいくら論じても仕方のないことかもしれません。

そして、子どもを探すなら保育園や小学校を地図やタウンページで調べれる方が話は早い。とも仰っていますが、たまたまネットを彷徨っていたら写真が目に付いて何となくという事もあると思うのです。その微々たる可能性ですらそれを排除する必要もあると私は考えます。そしてそれを促すようなアドバイスがお節介だと言われようとも、私はその可能性が無になるまでは止めようとは思いません。例え999人にお節介だと言われても、一人でも「ああ。そんな危険もあるんだな」と認識する事があれば無駄だとは思わないからです。そして現状では幾らかの支持もあります。

また、有名人や子役の話を引き合いに出していますが、それは一例に過ぎないでしょう。私の知り合いの夫婦がネットで愛娘の写真を公開したばかりに…(略)という事件や、友人の愛犬が…(略)という事件がありましたが、それをここで公開する訳にも行きませんし、公開してもそれもまた一例に過ぎないので止めておきます。

今回の話は別にどちらが正しいとかそういう主張ではなく、私の考えている可能性の程度バランス感覚と、徳保さんの考えているそれにはズレがあるんだな、興味深いなという話です。別に写真の公開は止めた方が絶対的に良いとか言っている訳ではありませんので誤解のないように願います。


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