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リンクに許諾を必要と考えるユーザが多数派?

こういった話題は興味の無い人が多いのであまりエントリにしたくないのですが、少し驚いたので薄く触れようと思います。自分の考えが常に多数派だとは思っていませんし、少数派であることを嘆いたり見下したりしません。ましてや排除したりしようなどとは考えもせず、少数派である事に羨望したり誇りを持ったりするのですが、多数派だと思っていた事が少数派だと知れた時には衝撃を受けます。逆もまた然りです。 ちなみに議論の発端はサーバー様とはだと思われます。

現在では許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めており、許可を要求しないことを表す造語「リンクフリー」が成立している。 はてなダイアリー - 無断リンクとは

ん?許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めており?そうなのですか?リンクフリーとはそういった概念を覆す為に必要な主張だったのですね。知りませんでした。私はリンクフリーはただのオマジナイか、神経質な人への配慮、もしくはリンクの許可などというナンセンスで余計な手間を省く為の物でしかないと思っていました。トラックバックならいざ知らず、例えマナー上の話だとしてもリンクに許可を必要とすると思っている人が多数を占めているとは夢想だにしませんでした。でも確かにそういった手間を省こうと考える人が多いという事は、許可を得ようと問い合わせる人が多いという事なのかもしれませんね。私は少数の人に向けて自サイトへのリンクは自由だと書いているつもりでしたけれども。

以前の似たような議論の時も言いましたが、別に私はどちらでも良いのです。その人の意見を尊重しますし、それを侵害する気もありません。ただ自分の主張は守ってもらいたいと思うに過ぎませんので論点はそこではなく、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりという所です。本当にそうなのでしょうか。適当な数のアンケートを実施した結果なのでしょうか。少なくとも私が巡回している界隈ではリンクに許可が必要だと(思っていると)謳ってるサイトはありません。リンクフリーと提示しているサイトのオーナーがそのまま許諾を必要と考えるユーザーと同じではない筈なので、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりというのが真理かどうかにわかには信じ難い。

しかし、続々サーバー様 無断リンク禁止なのは学校・教育委員会の方なのだというエントリを読んで驚きました(と言うか呆れました)。教育現場では無断リンク禁止が蔓延っているらしいです。これでは無断リンク禁止無断リンクはナンセンス無断リンクはマナー違反と何の疑いもなく主張する人が出てくるのも頷けます。別にそれ自体が悪い訳ではないけれど、それが広いwwwで通じるかは別の話で、現状では狭いコミュニティでしか成り立たない概念であろうと思います。そういった事を教えるのが教育の役割だと思うのですが、この事実を情報フロンティア研究会はどう受け止めているのか訊いてみたい気がします。でもそんな風に私が思うのは無断リンク禁止はナンセンスだと、そう思っている人が多数派だろうと私が思っているからに過ぎず、許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めているのならば、この話題自体が取り上げられる事に矛盾します。つまり許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めているのならば、無断リンク禁止無断リンクはナンセンス無断リンクはマナー違反という主張が当然の事で、それを主張した人が叩かれたり晒されたりする事は無い筈だという事です。以上の事から許諾を必要と考えるユーザーが多数を占めておりというのは真実ではないと判断するのですがどうなのでしょうか。単なる無断リンク禁止はナンセンスだと思っている少数派の抵抗なのでしょうか。アンケートをとってみたいものですが、必要数が集まる可能性は皆無なので止めて置きます。

更に読み進めると

インターネットが成立した当時からのユーザー層は主に技術層であり、彼らは法解釈や技術解釈をそのままに捉える傾向にあるため、許諾不要論を支持する場合が多い。

対して利用歴の浅いユーザー層は主に技術知識に堪能でない層であり、彼らは現実世界のルールに照らし合わせて考える傾向にあるため、許諾必要論を支持する場合が多い。

単純に人口としては後者が圧倒的多数であり、また両者は思想的交流が殆ど無いため、意見の溝は埋まる気配がない。 はてなダイアリー - 無断リンクとは

と書かれていました。私は法解釈や技術解釈をそのまま捉えたり、現実世界のルールに照らし合わせて考えたりはせず、俺ルールやマナーも尊重し、wwwはwwwの概念で考えているのですが前者です。利用歴の浅いユーザ層が圧倒的多数である事は事実でしょうが、許諾必要論を支持する人が許諾不要論を越えているかはわからないと思います。そもそもこの場合のユーザとは誰を指していて、オーナーとは区別されるのかという問題があるのでこれ以上は言及しませんけれども。

という訳で無断リンクされるのを嫌がっているサイトにリンクするのには、マナーの観点から許諾を必要と考えるユーザが多数を占めているというのなら納得出来なくもないのですが。どうなのでしょうか。

ところで話が逸れるので末尾になりましたが、無断リンク禁止を謳っている学校のWebサイトの作者はGoogleからリンクされている事をどう思っているのでしょうね。

追記(2005年7月27日13時00分00秒)

あれ?編集されてますね。引用して置いて良かったです。これって誰でも編集できるのでしたっけ?最初に書いた方と編集した方を特定する事は可能なのでしょうか。別に誰か分かった所で何と言う訳では無いのですが、私の文章がキッカケだったとしたら申し訳無いなと思ったりします(自意識過剰ですね)。

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コメント一覧

多数派を主張することに関する考察

引用されていた「はてなダイアリー - 無断リンクとは」を先程見てきました。

この中にある「許諾必要論」の説明で、
「彼らは生活感覚を尊重し「嫌なことをされない社会」を重視する傾向にある。」
という分析はするどいなぁと感心しました。

私は法学や倫理学を学んでいる(と言っても理系大学の概論程度ですが)ので、法を遵守しようとする社会規範は「嫌な事をされない社会」を実現する為に極めて有力な手段であり、それは原理的にマナーや地域毎に存在するの規範・倫理観に矛盾しないという事を明瞭に理解しているのだけれど、これを知らなければ「許諾必要論」の様な主張の正当性を信じていたかもしれないなぁと思います。

「他者の嫌がることをしない社会」ではなく、あくまで「嫌なことをされない社会」なんですね。
これはつまり、自己と他者が共通の価値観の上に存在している事を前提として、「自分がされて嫌な事は相手も嫌だろうからしてはならない」とする考え方だと思うのです。

相当の根拠による推測に基づかない限り、自己と他者が同一の価値観という前提で物事を考え進めるのはかなり危なっかしく、ばかばかしいのだけど、しかしその考え方はいかにも日本的で、実際私自身、幼い頃にはよく「自分がされて嫌な事は相手にもしないのっ!」などと叱られて育ったものだから、あながち馬鹿にできなかったりもします。

しかし、こうした考え方をする人達には、或るもうひとつの前提がある様に思います。小学校の社会科でも習う、公共の福祉という考え方です。つまり、自己と他者の価値観を同一視できるかどうかと判断する際に、「公共の福祉に反しない限り」という条件を課すのです。

本来であれば、様々な人の価値観を見渡し、相反する個々の価値観の妥協点、即ち「公共の福祉」の落とし処を定めたものが法であるはずなのですが、それを知らない人達は、自分の身近な人の中で自分と同じ考えの人が多いか少ないかによって社会全体の公共の福祉を判断しようとする傾向にあるのではないでしょうか。

ですから、こうした論理には総じて「自己と他者が同一」という前提の更に大前提として、「自己の価値観が多数派である(ゆえに公共の福祉にも矛盾しない)」という考え方が見てとれます。多数派である事が即ちその論理の正当性に直結するわけです。

「赤信号/みんなで渡れば/恐くない」という言葉からも推し量れる様に、日本人には「法」という大きな社会規範よりも身近な人に同調し合う事で生まれる規範を尊守すべきという倫理観があるようにも思えます。

もちろん、大手の新聞社や学校サイトなど、社会的信頼の高い組織が自信満々に「無断リンク禁止」と謳っている事が誤解を生じさせている側面も多分にあることと思います。しかし、法を知ってもなおそれを重く見ず、自己の価値観が優先されてしかるべきと考える人が少なくない事には、そうした「自己を取り巻く身近なコミュニティーの中で少数派とならない限りそれは正しい」と判断する根強い日本的文化背景があるようにも思いました。

  • 2005年 07月 27日(水) 18:39:23 |
  • URL |
  • hal*#Pe0og0Jg |
  • 編集 |
追記

と、書き終えたところで今一度引用元を参照したら、また若干変更されているようで、ニュアンスが変わっていました。いやはや。

  • 2005年 07月 27日(水) 18:58:20 |
  • URL |
  • hal*#Pe0og0Jg |
  • 編集 |
コミュニティの広さと人数

こんにちは。

なるほど。ごもっともですね。
個人的には多数派であることや少数派であることにそれ程の意味を感じていないのですが、
多数派である事を拠り所にする人達も“多数”いらっしゃるようですね。
それが相対的に見て小さな、少し我慢すれば良い様な事ならば良いですが、
確実に誰かに大きな不利益が降りかかるような事(人の嫌がること)だとしたらかなり問題ですよね。
物騒な事を言えば戦争だとか。

> また若干変更されているようで、ニュアンスが変わっていました。
 |日本では文化的背景から許諾必要論の支持者が圧倒的な多数派だが、
 |許諾不要論の支持者には雄弁なパワーユーザーが多く議論をリードするケースが多い。

ですか。
また戻ってしまったような気がします。
『許諾必要論の支持者が圧倒的な多数派』で
『許諾不要論の支持者には雄弁なパワーユーザーが多い』のですね。
で、数より質という話に。

ところで思うのですが、無断リンクはご勘弁と書かれているリソースにわざわざリンクをする許諾不要論者って多いのでしょうか。まあ少なくないから度々小競り合いが発生する訳なんでしょうけれども。
今回の論旨はそこではないのですけれども。

『地球という“小さな”コミュニティ』と感じる事が出来れば皆幸せになれるような気がします。

  • 2005年 07月 27日(水) 21:28:55 |
  • URL |
  • rara@執筆者#d3xRQPUk |
  • 編集 |
結局、多数派が勝つ

たいてい無断リンク問題の議論は許諾不要論者のワンサイドゲームになります。何せよく勉強していることが多いし、主張の根拠にも客観性がある。ところが、トラブルを解決しなければならない場面では、結局、譲歩せざるをえないのが現実です。

つまり、議論で勝ってもあんまり意味がない、というのが私の実感であり、キーワード解説の結論でもあります。この状況認識はキーワード「リンクフリー」において、より明確に示しておりますので、ご参考まで。なお、キーワードの編集履歴は「コメント」をクリックすると見ることができます。

  • 2005年 07月 28日(木) 09:25:44 |
  • URL |
  • キーワード編集者#UbtrvLiI |
  • 編集 |
絶対数の変移

こんにちは。そうですね。
こういった議論で勝ち負けは特に意味はないと私も思います。
と言うよりもどちらの意見が正しいなどと決める必要もない(本質的には決まらない)でしょうし。
今の疑問は、誰のどの立場の人達が多数派なのかというところなのですけれど、
やはり無条件に許諾を必要と考える人が増えているのかどうか…。
そして現状でそれが無意識に蔓延して(教育されて)いるのかどうか。


> キーワードの編集履歴は「コメント」をクリックすると見ることができます。

なるほど。
ログインしていると【編集】か【コメント】から編集履歴に辿り着けるのですね。
ありがとうございます。

  • 2005年 07月 28日(木) 13:03:37 |
  • URL |
  • rara@執筆者#d3xRQPUk |
  • 編集 |

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