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命の重さ

まあどう考えても11人全員を助ける方法を考えるけれどもそれでは話が続かないし、この種の話では想定にない事を持ち出すのは禁句だ。この場合は人について何も書かれていないので10人を助けるを選ぶだろう。もしくは色々と考えてその他を選ぶか。では10人ではなく1人を選ぶかもしれない(もしくは迷う)場合について勝手に考えてみる。他の選択肢については妥当性を見出せないのでここでは無視する事にした。

再度断っておくがあくまでも10人ではなく1人を選ぶかもしれない(もしくは迷う)場合であって自分の中で決定しているリストではない。そしてもちろんこれが全てではない。

こうやって考えてみると一番困るのは11人全員が自分の大切な人達だった場合だ。1人が自分の最愛の人で、それ以下の2位から11位までの人が10人だった場合を考えると答えは出ない。その場次第になるだろう。そもそも大切な人達に順位付けをしているのかという問題もあるが、その辺りは大筋と関係ない。最愛の人とそれ以外の家族・友人とでも考えれば良い。

ちなみに今、この瞬間の私の考えでは最愛の人を救う。ただ、そのせいで10人が死んだのだと最愛の人が知って苦しむのだとしたらと考えるとそこで思考が停止する。しかしそれでも、最愛の人が苦しむであろうとしても、おそらく私は最愛の人を救うのだろうと思う。それを自己満足だと言われればそうなのだと認めるしかないのかもしれないし、相手を救ったのではなく自分を救った(もしくは自分が傷つくのを回避した)のに過ぎないと言われればそうなのかもしれない。ただ私がその人を救うのは愛しているからだというのはハッキリしている。別に格好が良くなくても良いし、世間に後ろ指を指されようともそれは曲げてはならない部分だと思う。

さて話を戻してもう少しギリギリのラインの1対10を考える。問題はこの1と10をどのような天秤で計るのかだ。数、重さ、質、何をとっても命を計るには軽過ぎる気がする。しかし実際にそんな奇麗事がまかり通らない状況になった場合の話をしているので無視する。とりあえず私がここで考えてみたいのはリストの最後に挙げた知り合いかどうかという基準だ。

私の場合はリストに挙げた通り1人が知り合い以上の関係で10人は赤の他人ならば1人を選ぶ可能性が高い。同じ考えの人も居るだろう。では知り合いとはどのレベルまで下げられるか、それを考える。知り合いという言葉の概念とは違うが気にしない。自分と関係(に影響の)のある人という意味で考えて欲しい。

順番に意味はない。10人が自分と同じ国籍でもない(国という単位に私は意味を見出さないが。本当に何の感情も覚えない…という想定には同じ人間で地球人である限り無理かもしれないが)赤の他人である場合、1人が10人とつり合う、もしくはそれ以上になる条件はどのくらいだろうか。そしてその条件は10人ではなく5人や2人になった時にどのように変化するだろうか。ちょっと考えてみても罰はあたらないと思う。

私の基準は決まっていないが、普通に会って話した事がある相手と、その相手の周囲の大切な人くらいまでだろうか。比重としては赤の他人の方が10人だろうが1万人だろうが1億人だろうが50億人だろうが変わらない気がする。その1人を犠牲にすれば赤の他人が50億人助かると言われてもピンとこない。かなり危険な考えなような気もするが、それが正直なところだろうと思う。こういう考えが戦争やら貧困を生むのかもしれないが、それは1人を犠牲にして50億人を助けるという考え方だって同じ事であろうと思う。結局両方を助ける道を模索する以外に道はない。ただその答えは無いのかもしれない。でも諦めてはいけないのだと思う。

そうこう書いているうちに思ったのだが、やはり大切な人に順番はありそうだ。その順位の高い人が含まれている方を助ける可能性が高いように思う。例えば1人の方が2位の人で10人の方に3位から12位までの何人かが含まれていても2位の人を助けるような気がする。3位と4位の二人を足しても2位にはかなわないし、2位と3位を足しても一位にはかなわない。ただ配偶者と子供が別れていた場合には想像がつかない。どちらを選んでも正解でもあり間違いであろう。これは逃げだが、そもそもそういった想定をする事が間違いだという事にしておこうと思う。

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