惚れやすさ

一度 別館 の方に書いたのだけれど、引用部のCSSなどを書いていないらしく体裁が酷いのでこちらに加筆修正をして再度掲載する事にした。話のネタ的には完全に別館向きだけれどもまあ良い。

私はかなり惚れやすい方だと自覚している。だから印象が+方向になるような出来事があると、すぐにその人の評価が上がって、惚れる。そんなんじゃないかなあ。というのは当てはまるけれど、人に惚れやすい人ってのは、人に対する評価の変動が激しい人なんじゃないかというのとある一つの物事で他人に対する印象がころころ替わっちゃうような人はあまり当てはまらないと思う。と言うのも惚れやすいが冷め難いのだ。良い方の評価はとても甘いシステムになっていてどんどん好きになる。そして一度好きになるとマイナスの評価には目を瞑ってしまう。もしくはマイナスになる筈の項目さえその人が行ったことによって逆にプラスになったり何でも無い事のように思えたりしてしまう。まあつまり全て許してしまうのだ。少し違うかもしれないが、恋は盲目、あばたもえくぼとはよく言ったものだと思う。

ただやはり私の場合は初期の印象が殆ど全てを決定付けると言っても過言でないほど後の流動性は無いに等しい。つまり好きになれそうだと感じた人はとことん好きになり続けるが、無理だなと感じた相手に対してはかなり無感情(無関心)に接っしてしまう傾向にある。良くない事とは思いつつもその境界線を跨いだ人は殆どいない。かなり高い壁になってしまっているようだ。そしてその評価基準は実に曖昧で、初期と言っても見た目に限定される訳でもないし、一時の印象ではなく他人に言葉で説明できる類のものではないのでここでは割愛する。と言うよりも自分でもわかっていないのかもしれない。ただ、よく知りもしない内から何かを決め付けたりはしていないつもりだし、もっとこう人望だとか人との接し方だとか総合的、客観的に見ているつもりだ。

しかしまあそれが決まってしまった後は実にわかり易い。嫌いな人(と言うと語弊がある。苦手な人、もしくは好きではない人、関心を持てない人であって、嫌いなのではない)とは基本的に社交辞令程度のことしか話さなくなるし必要最低限の接触以外は無意識に避けているように思う。もちろん例外もあるが、基本的に私が自分から話しかけるような相手は全員が好きな人だ。中学生風(今は小学生か?)に言うとそれが like なのか love なのかという話になるのだろうが、それは性別に関係なく、日本語で好きだ。ただそれが異性だった場合、前述した通り私は惚れ易いので直ぐに別の複雑な感情が芽生える事も少なくはない。

もちろん周りから見て接し方の違いを(特に本人に)感じ取られているようでは円満に生活できないので(故意の場合は除く)、普段は不都合がない程度には分け隔てなく接しているつもりだ。しかしそれが上手くできていない事くらいは自分でもわかるし、友人にも態度に出過ぎでわかり易過ぎるとよく言われてしまう。直さなければとは思うものの、人格と対人スキル、そして自己防衛のかなり根深い位置に巣くっている考え方に基いている為にそれも叶わないだろうと思う。これが直ったとしたら他の部分で破綻するに違いない。

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