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テレビゲームの功罪

私はゲーム脳の考え方には否定的ですが、ゲームによるなんらかの能力向上があるという事は信じています。自分でも矛盾しているなと思う考え方ですが、サッカーを練習すると野球が下手になるわけではないという無理を押し通すような論理でゲーム脳の考え方を否定しています。いや、こんな無茶な理論で否定しなくても ゲーム脳 で検索していただければどのようなトンデモな話なのかわかって頂けるでしょう。いささか話題に取り上げるのにも気が咎めるほどに古い。

しかしながらゲームがなんらかの悪影響を及ぼす可能性があるとは思います。アメリカで公開されている過激なゲームなんかを見ると私でもこれはまずいんじゃないかと思うほどです。もちろん何か事件が起こったときに簡単にそこに飛びつこうとするメディアは浅はかとしか言いようがないのですが、それは視聴者(国民)が潜在的に安心感を得ようとしているからなのでしょう。何かの、誰かのせいにして自分がそれに近寄らなければ巻き込まれる事はない。事件に巻き込まれた人は少なからず本人にも責任があったのだと思いたい。そうすれば自分は事件とは無縁の存在で居られる。これは 宮部みゆき 著の理由模倣犯に書いてあって私が納得した件です。そう言えば宮部みゆき氏もゲームが大好きだと聞いた事がありますが、彼女もまたゲーム脳なのでしょうか。

少し話が逸れましたが、なんとなくこのテーマを持ってきたのは私も「桃鉄」で日本地理を学んだ者の中の一人だからです。日本地図も書けない、世界地図なんて当然書けない、都道府県もわからない、自分の住んでいる場所がどこなのかも地図で示せない。そんな人も少なくなくなってきました。しかし桃鉄をやっていれば日本地図なんか直ぐに書けるようになりますし、都道府県どころか県庁所在地やその地の名産品やら祭りやらまでわかるようになります。だからどうしたと言われればそれまでですが、トイレのドアに世界地図を貼ったり、お風呂に九九を覚える為の道具を持ち込んだりするのと同じで、何かをしながら何かを学べるというのはとても有益だと思うのです。それも楽しんで学ぶ事が出来るのならばこれ以上の事はないかと。ですからこういったゲームが増えればいいなぁと、大人達の認識が変われば良いのになぁと思うのです。もうファミコン世代が親になっている時代なので、少しずつゲームについての捉え方も変わってくるのではないかと期待はしています。

そんな中 神奈川県であるゲームが有害図書指定を受け ましたが、本来こういうものは親が管理(教育)する事ではないのでしょうか。子供がどんなゲームをやっているのかわからないような状態では、子供が何をやっていても(例えば誰かを監禁していたとしても)気がつかないのではないでしょうか。極端な見方をするのならば、ゲーム脳=キレ易い=そのような成育環境と取る事も可能で、ゲームその物よりもそのようなゲームを熱中して長い間プレイしていられる環境に問題があるのではないかと思います。読売新聞にタイムリーな記事が載っていたので紹介しておきます。このような家庭が増えると良いのになと思いました。読売新聞は著作権に関連して、リンクについてああだこうだ煩いので直接アドレスだけです。文句は読売新聞に言ってくださいね。http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20050601nt02.htm (一緒に遊び楽しさ体感)

最後に、暴力的なゲームが増える事については私も感心しませんが、ゲームをひとまとめにして排除するような物言いはやはり避けるべきではないかと思うのです。シリアスゲームという言葉(概念)が定着し、少しでも有益で且つ子供が楽しめるゲームが増えて行くと良いのになと思います。でも最近は外で遊びなさいと言われた子供が公園で ゲームボーイアドバンスニンテンドーDSPSP を持ち寄って遊んでいるのを見るとなんだかなぁと思ってしまいます。カードゲームもまた然り。私も歳をとったということでしょうか。

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テレビゲームというツール

私は少し前まで育児関係の仕事をしていましたが
やはりどこの家庭でも子供のゲームについて不安を感じている家庭が多いようです
時々ゲーム脳という言葉が出て来ることからも子供がどうしてゲームをやるのかが理解できない、というのが本音のようです
実際、公園を見てもファミレスを見ても携帯ゲーム機を持ち込んでゲームをしている子供をよく見かけます。
ですが、それを見ていてあることに気がつきました

公園ならある程度ゲームをすると今度はサッカーを初め。それが終わるとブランコに乗り出す。ブランコの順番待ちをしている間にゲームをして順番が終わるとあわててスイッチを切ってブランコに乗る
ファミレスならジュースを飲みながらゲームをして、しばらくするとカードを持ち出しそれを比べあい、話に花を咲かせる。そして塾や習い事の時間が来て解散。

この行動をゲームを漫画。ファミレスを駄菓子屋、カードをメンコに変えてみるとわかるのですが。
昭和の子供の行動と似ているのです。

つまり、ゲームはもう今の子供達子供達にとって遊びの過程における1つの道具でしかなく、それ自体をやることが目的ではなくなっているのではないでしょうか?

私が子供の頃、日常の遊びの中でメンコやビー玉を使ったように。
彼らも日常の遊びの中でゲームという道具を使っているだけの気がします。
もう彼らにとってのゲームはありふれた日常における遊びの道具の一つであり別段特別なものではないのかもしれません。

だとするなら。ゲームの影響を論ずる我々の心配を飛び越して、彼らは遥か先にいるのかもしれません。

  • 2007年 02月 21日(水) 10:29:36 |
  • URL |
  • ZERO#3/VKSDZ2 |
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