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情報フロンティア研究会報告書を読んで

前半は日本におけるインターネットの現状認識と発展についてまとめてありました。こんなわかりきった事でも上の人は真面目に考えているんだなと始めて知りました。別に皮肉ではなく、一サービスとしてのブログやSNSについての把握もしなければならない物なのだと認識させられたのです。

ちなみにこの報告書は、いかにICTを使いこなして新しい価値を能動的に創造できるのかについて、社会の情報化の現況や今後の展望に関する考察、象徴的な最先端事例の分析等を基に行ってきた議論の内容をとりまとめたものだそうです。どうもユビキタスとICTを中核とした話し合いが行われたようですね。それから個人の情報の扱いについての位置付けをかなり高い物として認識しているようです。そしてその個の力をいかに社会に産業に繋げて拡散させる事が出来るか、ユビキタス社会へと移行できるか、または想像もしない何か新しい物を生み出せるかなどが論旨であるように読めました。しかし私が今回興味を持ったのは匿名云々の議論についてなのでその他の関係ない箇所は飛ばします。

いよいよ提言部分ですが、何と前回は盛り込まれていなかった記述が提言1にされていました。それによると安心してICTが使える社会づくりを目指す為に個人のICT利用意識向上が必要で、その方法として義務教育課程におけるブログやSNSの導入(全生徒・児童のアカウント確保)を考えているとの事です。更に詳しく引用しておきますと次のような提言がされています。

私たちは、今後の教育現場における取組に期待したい。学校とは人と人の間のコミュニケーション手法を学び、他人と交流する能力を養う場でもある。I CTを活用したコミュニケーション能力は学校で学ぶことが望ましい。 いわゆる情報検索・探索技術やネットを介した互学互習のやり方の習得といったことに加え、 ICTにより実現されるバーチャルな環境を、現実社会と同じ感覚で活用すること、 すなわち、サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と安全に交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。 具体的には、ブログやSNSの仕組みを学校に導入することを提案する。 学校の中でセキュアなネットワークを整備した上で、児童・生徒が自らのアカウントを持ち、実名でブログやSNSを用いて他の児童・生徒と交流することでネットワークへの親近感を養うとともに、ネット上での誹謗中傷やプライバシー侵害等に対する実地的な安全の守り方も同時並行的に学ぶことが重要である。情報フロンティア研究会報告書

これで速報の記事に対して反射的に何かを書いてしまった人もこれで安心かもしれませんね。もうこれについての異論反論は出尽くしたでしょうからここでは言及しません。私の意見もチラッとですが先日書きました。実名云々についても触れられているので書きたい所ですが、ここで手を出すと前回の話とリンクしてしまい話が入り乱れてしまうので止めておこうと思います。それでも一つだけ思うのは、実名でWWWを利用する事を学んだ子供が、実際には匿名とされているWWWに飛び込んだ時の事が気になります。

それではここからが本題である提言3の箇所に入ります。ここから引用する文章はICTを利活用して個人と個人が信頼感にもとづく水平的な社会ネットワークを発展させ、活力と温もりある社会を形成するための提言である事を頭の隅にでも置いておいて下さい。

日本の社会では情報ネットワークが匿名であるという認識に基づいて色々な活動が行われているがゆえに、社会生活全般においてICTが利活用されていく活力が高まらず、社会心理的なデジタルデバイドと言うべき、サイバースペースへの忌避感が拡がっている。そのため、ある程度高度なICTを活用している層においても、その活動量、活力は、他の社会に比べて低いことも指摘されている。 情報フロンティア研究会報告書

匿名であるという認識に基づいてというのが微妙ですね。匿名であるという認識をしているのはユーザですか?それとも情報フロンティア研究会ですか?わかり難い表現ですね。おそらく前者だと思うのですが、そう思うのは

日本社会では、ネットワークを利用する者としての 自覚が社会的に十分に形成されているとは言い難い。とくに、サイバースペー スが匿名性の高い空間として認識され、極端な場合、ばれなければ何をしても いいという安易な発想すら助長する傾向を持っている。情報化社会の若者は、 膨大な情報メディア環境の中で、自分にとって必要な情報のみを取り入れるフ ィルターを構築し、その内向きな情報環境の中に閉じこもり、自分の領域に対 する他者の侵入をできる限り排除しようとするだけでなく、相手の心に踏み込 んで感情や行動に影響を与えないように距離を置く強い傾向も一部観察されて いる。情報フロンティア研究会報告書

という記述が見られるからです。匿名性の高い空間として認識されということは、匿名であると位置づけているのではなく、匿名であると認識されていると位置づけているということになるのでしょうね。つまりは匿名ではないのに匿名であると認識されて情報発信などの活動が行われている事がまずいという事でしょうか。だとしたら実名にするのではなく、必ず身元がわかりますよという認識を広めようとする努力の方がよっぽど利に適っていると思うのですが。

え~っと、また見落としたのかもしれませんが、匿名や実名に関する記述はこれくらいしか見当たりませんでした。いったいどこにネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針が書かれていたのでしょうか。他に書かれているとしたら先に引用した教育現場での取り組みについてくらいしか見当たりませんでした。現状の確実に存在する匿名性を払拭する為の取り組みについてはなんら言及されていないようです。現行のシステムを再構築しようとしないで、教育レベルから変えて行こうとしても、その教育や通念が浸透するのにいったいどれだけの時間が掛かるでしょうか。抜本的な改革を進める為にはそういった活動も必要だとは思いますが、それだけではなく、現行のシステムを刷新するような活動も同時に行わないと効果は得られないでしょう。そして少々落胆したのは期待したいという言葉を用いている事です。

何だか実名でネットを活用する事に対しての問題点を書いていこうと思ったのですが、少し気を削がれましたね。もっと大胆にネット利用は実名でと書かれていて、それを実現する為の具体的な提案などが書かれていると思ったのですが期待はずれでした。ですので少し話が逸れますが、実名を晒した場合の問題点を列挙して終わりたいと思います。私の言う実名の定義は匿名とか実名とかに書いてあります。

先ずは実名を晒す事は人権擁護法案と照らし合わせた場合に多くの矛盾を含むのではないかということです。私個人としては人権擁護法案自体がかなりの問題を含んでいると思うので、それと比べるのは不毛だと思いますが、両方通るということだけはあってはならない事だと思います。私なんかは名前も顔も住所も電話番号もあちらこちらに晒しながら生活していますから、病院で患者の名前を呼ばないなどといった、人為的なミスを助長するような過度の個人情報の秘匿はくだらないなぁと思っています(気にする人も居るのはわかります)。そもそも住民基本台帳を誰もが見られるような状態でも問題だとは思わなかった人達が、今更個人情報がどうだとか平気な顔で論じられるのが凄いと思います。

さて次に匿名である事が犯罪の温床になっているのかという事ですが、これは少なからずある事でしょう。しかしながらこれは匿名である事そのものよりも、取締りが緩い事にも起因しているのではないでしょうか。情報を規制(取り締まりを)する事とICTリテラシーを養う事はこれまた矛盾します。情報の規制についてはこんな記事こんな報道がなされ、新たな火種になっているので別途書く機会があるかもしれません。

そして一番強く思うのは実名を発表した時の危険性です。実際に実名を公表している人の中にはそれほど危険は無いとか住所まで調べて接触してくる事はまず無いとか、可能性は殆ど無いとか言いますが、絶対に無いと言い切れるのでしょうか。そして何かが起こった時に責任を取れるのでしょうか。現状でも(ネット)ストーカーの被害に遭われている人もいるようですし、その昔には新潟かどこかで殺人事件まで起こったそうです(すいません情報源が確かではありませんので事実に反するかもしれません)。そういった事が起こる可能性が低くとも、一件でも起こってはならないのです。そういった事を考慮すると匿名にする必要性は崩れないと思うのです。しかし実名にすべき場合も存在します。という事はここで問題点の細分化が必要になるという事でしょう。

それでは前提条件について考え直してみます。ここではわかり難いですが、匿名にする必要性から考えれば上手くまとまりそうな気がします。なぜ人は匿名にするのか。目的は一つだけで、実の部分の自分との繋がりを絶つことですが、その理由は大きく二つ(必要ならば更なる細分化も)に分ける事が出来るでしょう。一つ目は純粋な身の安全の為に自分の住所を秘匿する場合で、もう一つは悪事を働いた時に身元がわからないようにする為です。この二つを合わせて論じようとするからあたかも匿名論者と実名論者に別かれているような構図になってしまうのでしょう。全てを匿名にするか、全てを実名にするかという極端な思想は止めて、きちんとした規律をそこに創れば良いのです。その方法や決まりは私がここで述べられるような簡単なシステムではないと思うので言及しませんが、その辺りの事を情報フロンティア研究会を始めとした組織が考えてくれればなと思います。

それから最後にもう一つ。実名にすべき場合というのも考慮に入れなければなりませんね。アメリカなどでは個人のブログが社会に影響を与える事があるようですが、その辺りの事はブロガーの増加が「匿名」を吹き飛ばす? 米国の例に学ぶ実名か匿名かの境界は、アイデンティティがあるかどうかの記事を中心に読んで頂けるとわかり易いかと思われます。それが例え個人の主張であろうとも、実名で行う事による影響力や、著作権問題に関わる場合などを考慮すると、そういった場合も実名である事が望ましい(もしくはなければならない)ように思います。ただしこれについてはやや推敲が足りないために、外している可能性もあるので話半分に読んで下さい。

なんだかんだで長くなってしまいましたが、この議論はまだまだ続く事でしょう。興味が薄れなければまた記事を書く日が訪れるかもしれません。個人的には長いだけで要点の絞られていないあまり納得のいくエントリに仕上げられなかった気がしていて残念ですが、こういう事も多々あります。きっと問題点が大きすぎたのでしょう。また気が向いた時にでも書き直すか、適当に修正したいと思います。

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  • 2005年 06月 30日(木) 01:53:02 |
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  • 編集 |
ポジティブなベクトル

ミスターITです。

先日の白浜でのメモについてのコメントありがとうございました。
上記のエントリに関してですが、ネットワークの可能性というのは、本当に「独立した個人」が自分の知識と経験をネットに貢献して、自分の可能性を伸ばしていくことというように思っています。
そのような魅力的なツールを、いまの匿名文化が壊しているのではないかというのが、上記の報告書の本当にいいたかったことに思っています。だからこそ、特に昔に、一部の人が、オフラインでのつながりなどをも含めてネットで活動していたみたいな文化を若い人に体験してもらいたいという気持ちがあるんじゃないか、特にそのために教育の果たす役割は大きいだろうというのが報告書の趣旨と思っています。
「知性と教養のある人による民主主義」のためのICTみたない文脈で読むのは、いかがでしょうか。94年くらいには、本当にみんな思ってたんですよね。(Wiredの本は、そんな感じだったです)

そうだとすると、実際のネットは、怖いよという話は、むしろ、怖い実際のネットのほうがおかしいのではないかと思えてしまいます。

  • 2005年 06月 30日(木) 11:52:22 |
  • URL |
  • ミスターIT/高橋郁夫#- |
  • 編集 |
簡単そうで難しい、難しそうで簡単な話

こんにちは。

そうですね。徐々に変えて行くことが出来れば良いと思います。
ただ、それによって被害者(狭間の世代)が出ないようにして欲しいと思います。
比べるのもおかしな話かもしれませんが、
ゆとり教育云々も(判断するには時期尚早ですが)問題視されてますし、
同じような状態にならないようにして欲しいと思います。

でもそういった教育を受けた人達がネット社会を変えて(戻して?)行ってくれれば、
とても喜ばしい事だと思います。悲観しても何も始まりませんし。


> そうだとすると、実際のネットは、怖いよという話は、むしろ、
> 怖い実際のネットのほうがおかしいのではないかと思えてしまいます。

性善説を持ち出すのも話が大きくなりすぎますが、
もっとこう何か平和な社会にならないものですかね。
個の意識が変わるだけでガラリと変わると思うのですが。(匿名の意味すらなくなる)
まあ現実社会でも上手く行かない物をネットに求めても無理なのかもしれませんけど。
なんだか少し寂しくなります。

  • 2005年 06月 30日(木) 17:50:37 |
  • URL |
  • rara@執筆者#d3xRQPUk |
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